nishi.org 西和彦のコラム

メディアビジネス

#82 ポケモンGOは情報収集ツールになるのではないか

2016-09-06

先月から流行っているソフトのポケモンGOがある。このソフトはゲームとしてなかなかの出来であるが、ポケモンGOをしながらポケモンGOが強力な情報収集ツールになるということを思いついた。スマホのカメラ使ってGPSの情報をとっている。これはポケモンGOを遊んでいる人全員をスパイにするソフトではないだろうか。当局が知りたい場所にモンスターをばらまけば良い。例えば、北朝鮮のロケット発射場やイランの核燃料精錬工場など。人目をさけてこっそりやっているところを調べにに行くのにとても都合がよい。ポケモンGOはアメリカのソフト会社が作ったゲームであるから、中国や北朝鮮やロシアでは時間の問題で絶対禁止になるだろう。逆に中国で作られたポケモンGOのようなソフトや、ロシアで作られたポケモンGOのようなソフトが、アメリカや日本で流行るようになるかもしれない。これからのインターネットゲームとスマホとのドッキングは軍事的利用を考えたときとてつもない可能性を秘めているのではないか。それを知らないのはユーザーだけだったりして。最近防衛省が大学の研究にお金を出すといっている。こういうプロジェクトの提案も面白いかもしれない。

#56 新聞と出版は死ぬのか

2016-04-05

インターネットの時代になって新聞と出版の景気がどんどん悪くなってきている。夕刊はどんどん姿を消し、出版社の経営は悪化し、取次は廃業している。たしかに読者は変わりつつある。今まで家で新聞を読んでいた世代がなくなってしまった。スマホでニュースを読んでいる。マンガもスマホで読む。しかし本当にインターネットで出版と新聞が死につつあるのであろうか。そうでない部分も考えられる。ひとつは同じような議論がテレビが出てきたときにあった。テレビによって新聞はなくなる。そのなかで勇気を出してテレビをやるのだとテレビを始めた新聞社が成功を収めている。テレビ朝日やフジテレビや東京放送である。新聞とテレビは共存した。なぜならテレビはタダだったからである。新聞はテレビの番組表を夕刊に載せお互いに助け合う関係でこの半世紀進んできたのではなかったか。テレビと新聞の共存を見て出版界の人は、出版とウェブは共存すると思ったのではないか。たくさんの出版社が電子出版を大騒ぎして参入し、しかし黒字になったところはいまだ少数である。黒字の筆頭はマンガとエロ小説である。

ではなぜ新聞と出版が苦しんでいるのであるか。私はそれは読者の嗜好が変わっていきつつあるからではないかと思う。多くの読者がタダの情報を消費していて、タダの週刊誌の情報サイト、タダの電子出版サイト、もちろんタダのホームページを見るようになり、新聞や書籍につかっていたお金はスマホの通信料に変わってしまったのではないか。

新聞は憲法の言論の自由によって保護されているがゆえに何を言っても自由だ。右ならば産経、左ならば赤旗、インテリならば朝日、ビジネスなら日経、スポーツなら読売。ローカルなら東京新聞を筆頭にそれぞれの県単位の新聞などと、新聞は十人十色の以上のバラエティに富んでいる。このバラエティを嗜好する読者の情報選択行動がメディアの盛衰に直結するのではないか。右翼も左翼も需要は変わらないだろう。スポーツも需要は変わらないだろうが、読売はどんどんスポーツ新聞化するだろう。日経を読まないビジネスマンなんていない。おそらく一番部数を減らすのは、インテリにターゲットをしぼっている朝日新聞であろう。インテリはもはや新聞なんて読まない。今まで新聞を読んでいた時間にインターネットで自分がもっと情報を選び、誰でもが評論家のふりをしたブログを書く。

テレビ、ラジオ局は放送法によって公平中立が義務付けられている。最近総務大臣が変更している放送局は停波させるといって物議を読んだ。アメリカはこういう制限がない。こういう制限がなくなるのは時間の問題であろう。日本のテレビ局が新聞のように右と左とインテリとマネーと宗教とに分かれて、チャンネルがそれぞれ御用コメンテーターを抱えてバラエティに富んだテレビ放送が当たり前になるのが目の前にきている。

最近のメディアはマスコミ(新聞テレビのこと)もインターネットもひどすぎる。まだ立候補もしていないタレント候補者のスキャンダルや議員のスキャンダルやタレントのゴシップや犯罪者の犯罪の詳細についての記事が多すぎる。かくいう私もなんか事故が起こると全録ハードディスクレコーダーをみながら、どこの局がどういう論調で報道しているのかを比較して楽しんでいる。でも足腰をいかした機動力を持って取材をした記事は少なく、インターネットのまとめサイトみたいな番組ばかりでだんだん飽きてきた。結局ここ15年間スマホで育ってきた世代に対して、スマホ的な情報提供をするようになったテレビと、スマホ的なホームページを作り続けているメディア各社が売れているだけのことではないか。だから浅くて軽くて早いものはテレビとインターネットにまかせて、新聞と出版は時間がかかってもの深くて重いものに方向を変えていけばよいのではないか。高品質を好む読者はいつの時代にも必ず存在する。しかしそれが行き過ぎたら独りよがりの世界に突入して奈落の底に落ちていくだけである。不特定多数と特定少数の線引きが大切なのである。そういう変化が紙の世界とエレクトロニクスとの新しい共存を作りだしていくのではないか。

#38 週刊アスキーデジタル化とはなんだったのか

2015-10-13

週刊アスキーが紙媒体から撤退し、6月から電子版週刊誌になって、4ヶ月たった。最近会った広告代理店によると有料購読者はたったの6000人らしい。がっかりである。私の言ったとおりになった。週刊のときの発行部数が6万部だったのでこれは10分の1になったことになる。週刊アスキー最終号に、電子版のお試しパスワードをなぜつけなかったのか。これなら週刊アスキー廃刊まで時間の問題であろう。国会で数珠をもってお焼香をした山本太郎のような気持ちになってしまった。

ではどうすればよかったのか、どうしなければならなかったのか。まずとりあえずできることは、無料にすることだ。それから日刊タブロイド新聞を発行することだ。セーラー服、コスプレ、エロ、グロ、ギャンブルなんでもありの日刊夕刊紙、つまり、通勤帰りの人を狙った夕刊紙を首都圏および政令指定都市で発行するのである。そうすれば10万部はいくと思う。いろいろ考えれば生き残る可能性はあるのではないか。そうでないと、週刊アスキーの事業責任者は責任を問われてクビはカウントダウンではないか。角川がアスキーを買った2つの大きなクラウンジュエルは『週刊アスキー』と『週刊ファミ通』ではなかったか。王冠から宝石を取り出してゴミ箱に捨てたのがアスキー出身者でないことを祈る。

#18 政治学とマスコミ報道の建前と本音

2015-04-08

国際政治学について興味があるので、国際政治学会に参加している。しかし友人から国際政治の研究はやめたほうがいい、と言われた。なぜかと聞くといつの時代にも政治家の本音はわからないというのだ。もう少し詳しく教えてくれと言ったが、国際政治の世界では建前と本音がセットで流通していてその2つを研究するということは至難の技であるからだそうだ。いろいろな政治活動の究極は大国同士の対立であったり、一部の人たちが大金を儲けるための行動であったりするのだが、表面的にはそういう話は一行も報道されない。ほとんどの人たちは、表面的な国際政治を語っている。本音をテレビ番組で発言した古賀某は抹殺されたが、司会者や官邸はきれい事しか言わない。霞ヶ関を歩いているデモ隊はお金をもらって動員されている人たちである。誰が払っているのか、一人いくらもらったのか、弁当はついているのか、などを報道した新聞はない。政治に建前と本音があるようにマスコミにも建前と本音があるようだ。民衆を愚弄した世界ではないか。これが国際関係にまで拡大されるとヨーロッパ金融資本の陰謀論や人種問題などが出てきてさらに複雑になる。

どこかの新聞社のひとにきいたことであるが、「うちは左がかっているのではありません。日本の保守層に潜む左的な気持ちを代弁しているだけです。我が新聞はバリバリのエスタブリッシュメントです。野球の好きな新聞や日の丸の好きな新聞とは違います。」などと言っていたりする。本音の発言として歓迎したい。

だから政治学は常に両建てで大衆のための建前と支配者の本音を論ずるべきであり、マスコミはテレビラジオを含めてマスコミとその背後にあるもの、つまり、マスコミに金を出しているひとの意図と、マスコミを監督している権力者の意図を論じるのが本質的なことではないかと思う。

「サントリーのレモンジーナが品薄だ」、とインターネットでつぶやきが流れた。そうしたら「そんなもん山ほど在庫があるぞ」、と第二のつぶやきが流れた。フランス人にこれは「貴重なレモンジーナだ」とあげたら、「フランスにはない商品だ」と言っていた。「フランスも売り切れているのか」と聞いたら、「フランスには存在しない」と言っていた。フランスにないフランス製とはどうなっているのだ。

アジアインフラ投資銀行に日本が投資しなかったことを巡るインターネットの論調はもっと傑作である。イギリスが投資した。わざわざ王太孫が中国に参加すると言いに訪問した。香港をめぐって中国とイギリスはずっと特別な関係であって、これからも特別な関係にありたいということをもったいつけて言いに行ったのだ。そのあと、そのトリックに引っかかったのこりのヨーロッパの国々が参加を表明したのは周知のとおりだ。安倍首相は外務省の幹部を呼んで「どうなっているのだ」と騒いだというネットの記事があった。「日本は出資するべきだった」という論調が出はじめている。誰でも好き勝手なことを言える世の中であるが、なにかおかしくはないか。日本のインターネット論壇には中国の友達がたくさんいるようだ。戦後70年の歴史を学べば日本が出資するわけがないということなど中学生でもわかるのに。

インターネットの時代はレベルの低いウソは通用しないということを皆が知るいい機会であったと思うのは簡単すぎるのではないかと思う。三重四重に大衆の心を心理学的に分析して動かそうとしている人たちがいるということを忘れてはならない。政治もマスコミもインターネットも。

#17 「週刊アスキー休刊、ウェブに全面移行」私ならこんなことはしない

2015-03-31

知り合いから電話がかかってきて「週刊アスキーが休刊するって知っているか」、と教えてもらった。思えば20年くらい前に会社再建の社運をかけて立ち上げた週刊誌だったのにやめてしまうのは、とても残念である。

週刊誌がウェブに負けるのはスピード問題である。角川の内部のことはなにも知らないので、そとから見た想像の話であるが、誰かが歴彦さんにいい格好して「ウェブに全面移行しましょ」なんてささやいたのだろう。どうかと思う。角川のような大出版社は大金をはたいて買収した週刊誌でも、トイレの水を流して電気のスイッチを切るような感じなのだろうか。

ウェブの発表文にはインターネットに移行すると書いてあるが、誰が書いたのか知らないが間違った戦略である。1週間待てないなら、週刊誌から日刊紙に変えればよいではないか。Windowsの発売日に使える割引クーポンを印刷したマイクロソフトの広告なんて載っていたりして。あと、金曜日に特集主体の日曜版を出して週刊誌も温存することも可能ではないか。週刊誌を休刊したあとにしなければならないことは日刊紙の夕刊アスキーを刊行することではないか。インターネットの時代ですべてはウェブになると言う人がいるが、私はそれは間違いだと思う。紙にインキで印刷したメディアは決してなくならないし、有料で情報を買ってもらうことができる最適なメディアである。無料のウェブサイトの広告をあてにするのはテレビの民放モデルである。出版は広告よりも記事の中身で読者に買ってもらうのが本筋ではなかったか。

私なら夕刊フジのようなタブロイド版の日刊 夕刊紙を出す。「夕刊アスキー」である。東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、仙台、広島、札幌、福岡で発売するのだ。新聞社と提携して宅配もする。もちろん電子版も。ウェブも連動させる。出版業界にいない負け犬の遠吠えと言われるのであろうか。しかし、週刊アスキーの初代発行人としてそれぐらい言ってもいいだろう。

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