nishi.org 西和彦のコラム

メディアビジネス

#727 書きかけの本

2022-09-14

書きかけの本が10冊ぐらいある。

1. メディアシステム工学教科書
2. 自己実現の10のプロセス
3. パソコンの歴史とマイクロソフトの成功の秘密
4. コイツだけは許せない(悪口、秘密暴露集)
5. オーディオマニア関係
6. 日本古代史の偽装
7. 上杉謙信論
8. フランス革命史
9. 私が考える中学高校教育の理想
10. 私が考える大学、大学院教育の理想

など、全部並行して資料集めと執筆をしている。最後の仕事は著述業かもしれない。

#535 無観客だったオリンピック、パラリンピック。京都の大文字は

2021-08-18

8月16日に京都の大文字の中継がBS11であった。今年も去年に続いて大文字は6点、妙法も舟形も左大文字は1点、鳥居は2点点灯された。理由は点灯の場所でのコロナ感染に配慮してだそうだ。映像を観て、普通の人はやっぱり1点の光よりも字や鳥居や舟だったらいいのにと思っておられたのではないだろうか。火が燃えていたら霊にとってわかるからそれでいいのではないか、という考え方もあるが、こういう時代なのでオリンピックのようにフルで放送して欲しかったと思う。

#527 ファミコン通信が生まれたあのころ(ノーカット版)

2021-07-28

ファミ通から取材があった。本が出てみたらカットばかりで頭にきた。角川はこんだけ記事内容を誰に忖度しているかわからないが、だから売れない雑誌になってしまうのだ。気分が悪いからノーカット版をバラすことにした。

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 『ファミ通』35周年。その歴史を紐解いて行くと、かつては『ファミコン通信』という名の月刊誌だった。そのころの出版社は、アスキー。PC雑誌『月刊アスキー』を始めとした出版、MSXの販売やゲームも含めたソフトウェアの発売を行っていた。今回、そのアスキー創業者である西和彦氏を直撃取材。『ファミ通』とアスキー、PC情報誌『LOGiN(ログイン)』などの思い出話をうかがうと、さまざまな秘話が飛び出した。貴重な証言も飛び出したインタビュー、必読です。

ファミ通とLoGin

 1982年、『月刊アスキー』の別冊として誕生したのがPC情報誌『ログイン』。その中に、当時のファミコン人気を受け、1985年3月号から“ファミコン通信”コーナーが誕生。記念すべき第1回の内容は『バンゲリングベイ』攻略だった。さらに1986年6月、コーナーが雑誌化する形で雑誌としての『ファミコン通信』が発売。つまり、『ファミ通』のルーツをさかのぼっていくと、ファミ通→ファミコン通信(雑誌)→ファミコン通信(コーナー名)→ログイン(雑誌)→月刊アスキーとさかのぼっていくことができるというわけ。なお、『ファミコン通信』創刊号の表紙に描かれているキャラクター“べーしっ君”もログイン出身だ。

『ファミ通』と『LOGiN』と
『月刊アスキー』の思い出
西 『ファミ通』のインタビュー? そう。浜村(※1)は元気か?
――えっ、浜村ですか? 最近会っていませんが、元気だと思います。ああ、そうですよね。浜村とは長らくお知り合いというか、アスキー社長と部下というご関係だったわけですよね。
西 もともと彼は半導体の営業をやっていて、営業のセンスはあったように思うし。編集もできたし。
――今日はそんな思い出話も含めて、いろいろお伺いできればと。
西 『ファミ通』はねえ、アスキーの経営が苦しくて、リストラを進めているときに、一度任天堂から「20億円で買ったろか?」って話を持ちかけられたことがあったんだ。
――ええっ!?
西 僕は、50億円なら売っていいと思っていた。それで任天堂の山内さん(※2)と話をしたんだけど、向こうは「30億までだ」と。僕は40億円までは値下げしたんだけど、最後の10億円の溝が埋まらなかったなあ(笑)。
――惜しい! いや、惜しくもないですが。その合意が成立していたら『ファミ通』の歴史も変わっていたでしょうね。
西 僕も会社が苦しかったから「売ろうかな?」と思ったけど、浜村好きだったし、売るのをやめました。
――『ファミ通』は『ログイン』の1コーナーからスピンアウトして独立した雑誌になったという経緯がありますが、『ログイン』のこと
は覚えていらっしゃいますか。
西 ログインっていう雑誌名は、UNIX(※3)のプロンプトから取ったんです。当時、アスキーでは誌面作りとかソフトウェアの開発にUNIXを使っていて、社内にターミナルがあったから、それを使い始める
ときにいつも“login”と表示されていたのよ。だから、コンピューターを始めるにはログインだと。入り口という意味合いで、「さぁログインしましょう」という意味で雑誌名をつけた。『月刊アスキー』がテクノロジー、ハードとソフトの総合誌だとしたら『ログイン』はソフトウェアをメインに扱う“情報誌”という位置づけで作っていました。
――ああ、なるほど。確かに両誌を見比べてみると『ログイン』は、ゲームの情報も多く企画記事ありで、後の『ファミ通』のとくに“バカ記事(※4)”に通じる雰囲気を感じます。編集方針には西さんから指示を出すことも?
西 いや、ほとんど編集長に任せていました。小島(※5)とか。僕は雑誌の中身というよりも、数字、販売部数や広告の入りかたを見ていました。
――そのころは経営側の視点でやられていたわけですね。『月刊アスキー』の創刊時には、ご自身も取材をしたり記事を書いたり、相当現場で働いていたそうですが。
西 『月刊アスキー』を作ったのは『ファミコン通信』が雑誌になった1986年の約10年前になる1978年だけど、当時はやっぱり事情が違って、PC雑誌というものもほとんどないし、きちんと書ける人がいなかったから。当時、青山のワンルームマンションを事務所として借りていて、僕はそのお風呂場が好きだった。静かで集中できるから、よく、お風呂場で原稿を書いていたんです(笑)。洋式のトイレに座って。創刊号には、“コンピューターは電卓の延長ではなくて、対話できるメディアである”ということも書きました。
――現代では、まったくその通りだなあと思う表現ですが、当時としては相当に先進的な考えかただったのではないでしょうか。
西 うん。コンピューターは最初、数字を扱っていた。0から9で10個だよね。その後はアルファベットの26字、それが日本語、漢字も扱えるようになってどんどん文字数が増えていった。そうするとつぎは音楽やコンピューターグラフィックスが載るわけ。音楽、写真、映像が扱えるもの。この機械は計算機ではなく、自動タイプライターではなく、メディアになる。メディアマシンだと、そういう思い込み、信じ込みがありました。『月刊アスキー』はもう廃刊になってしまったけど、フラッグシップの雑誌を廃刊にしちゃいかんよね。バカタレが。
――でも『週刊アスキー』はいまでも続いていますから。
西 電子版になっちゃったよね。時々紙も出しているけどね。
――『週刊アスキー』では思い出などはありますか。 

20億円の赤字で
会社がピンチ!
西 じつは『週刊アスキー』を創刊するとき、しくじっていたんだ。1号作るたびにだいたい1億円の赤字が出る体制で、けっきょくその後計20億円の赤字になった。
――うおお……。
西 それで編集部に降りていって、編集者が50人くらいいたんだけど、「こんなもん作りやがって。お前ら、全員、クビ!、バカヤロー」と言って解散した。その後、どうしようかと考える中で、「パソコン週刊誌でリターンマッチをしよう」という結論になった。当時隔週で出していた『EYE-COM』という雑誌があったから、それを週刊化しようと。どんな雑誌にするか。アスキーはPCの会社だろうというコンセプトで、PCの情報をしっかりと載せる雑誌にしました。
――『月刊アスキー』で始まった会社が、原点回帰をした。
西 それでとにかく「この『週刊アスキー』を売らないと会社が潰れるんだ」と全社に号令をかけて、とにかく社員に書店を巡ってもらった。書店にお願いして『週刊アスキー』を売ってもらえとたのみこむことに。書店だけじゃなくて、地下鉄の売店とかもね。手段なんか選んでられない必死だったから。
――たとえばどのような販売作戦を。
西 社員に出社前に「書店を3店回ってこい」と言って、ビルの守衛さんにチェックしてもらって、書店のスタンプが3つ押されてないと会社に入れないとか。社員に栄養ドリンク「リゲイン」を配って。その商品名がよかった。もう一回がんばるぞ、というような意味の……。
――本当に24時間戦えますか、の世界ですね。
西 ほかの売れている雑誌の研究もしました。週刊Pと週刊Gという週刊誌を2冊ずつ買ってきて、ページの真ん中から針を抜いて全部バラバラにして並べて台割の研究をした。それでひらめいた。「売れる雑誌はヌードとマンガとニュースや!」と。
――(笑)。『反省記』の中にも、「そうだ、長い長いURLを雑誌に載せて、それを打ち込んだエッチな画像が見られるという記事を作ろう!」と思いついて、出張先のニューヨークから日本の編集長に電話をした、というエピソードが載っていましたね。
西 編集長に「ヌードを載せると広告主が嫌が
るんです」って言われて、最初は諦めたんだけど、いいアイデアが思いついた。だったら、雑誌に写真は載せずにURLだけを載せて、後は読者にそこにアクセスしてもらえばいいと。
――アハハ。立ち読みじゃ見れないから、確実に買ってもらえるし(笑)。
西 国際電話で2時間くらいしゃべり続けて、編集長に「社長はいかれてる、頭がおかしい」と言われるまでやり合ったけど(笑)。ほかにも、グラビアを掲載するとき、編集長に「おい、この事務所に“500万円払うから●●を取ってくれ”と伝えろ。▲▲▲脱いだら1000万円払うし」って言ったりしましたね。
――あわわわ。それ以上は雑誌的にも現代のコンプラ的にもNGです!
西 そう(笑)? 当時は販売促進費なんかもかなり使ったし、業界内外に悪名轟いたわね。でも、そのおかげで、V字回復。ビューっと売れた。週刊30万部。PC雑誌でなぜそんなに売れるか、それは、ヌード、マンガ、ニュース。
――すごい話です。
西 『週刊アスキー』では、ニュースページもとても重視していて、大きなニュースが出るたびに輪転機を止めていた。搬入前日の夜中に印刷所へ行って、輪転機止めて、誌面差し替え。だから、「もうこんなに早く雑誌に載っているなんておかしい。アスキーは事前に知ってたんじゃないか」と言われてたですね。そんなのは日常的だった。そういうことをトップダウンでやっていた。楽しかったわー。
――当時はニュースサイトもないし、速報性のある新聞はテクニカルなことは詳しく書かないし、週刊誌の役割も大きかったですね。
西 ジャーナリズムの責任感を背負っていたの。

ゲーム業界から見た西和彦氏
――アスキーは『ベストプレープロ野球』や『ダービースタリオン』を発売していましたし、西さん自身MSX(※6)の開発を主導していたわけですから、じつは昔からゲーム業界とは関わりが深かったわけですよね。
西 そういう見かたもできるかもしれない。でも、MSXはあくまで“ゲームもできるPC”というもので、ゲーム機という受け取られかたをするのは、僕としては本意ではなかったんです。テレビにはつながるんだけど、あくまで、プログラムもできるし、PC。だから、わかりやすく言うと今のWindowsみたいにMSX規格のハードがいろいろな会社から発売されていたし、ユーザーが組んだプログラムは自由に流通してよかった。やはりPCというのは、オープンであるというのが重要だと考えているわけです。それでMSXはオープンアーキテクチャにしました。家庭用ゲーム機みたいに、プラットフォーマーが認証しなければソフトを販売できないビジネスモデルにはなかった。それをやればアスキーは儲かっただろうけど、そうはしなかった……。
――そういう哲学があったからこそ。
西 ふたつはぜんぜん異なるものだったんだけど、ファミリーコンピュータと比較されたのは辛かった。
――MSXで覚えているソフトや、お気に入りのゲームというのはあるのですか?
西 いやあ、僕はそもそもゲームが好きじゃありません。なぜなら楽しくないから。
――ちょっと! ファミ通の取材でなんちゅうことを言うのですか。
西 (笑)。
――それは、あの、“やっぱり人と人のコミュニケーションがいちばん楽しいのだ”とか、そういう感じの理由で……?
西 そういうことでもないだけど、ゲームがだんだん複雑になって難しくなっていったから。
――それでもアスキーはゲームを売っていたし、ゲーム雑誌も出していたわけですよね。
西 それはお金が儲かるから。
――なるほど。
西 ゲームを好きじゃないと言っても、ゲーム自体を否定するものではないからね。
――ところで、その後も西さんはゲーム業界に縁があって、1990年後半にはセガでドリームキャストの開発にも関わっていたそうですね。
西 うん。それは当時、経営難だったアスキーを救ってくれたCSKの大川さん(※7)からの依頼で、「ドリームキャストをどうにかしてくれ」と頼まれていたから。それで、大川会長の補佐として、外部の立場から、「こういうふうにしたらいいんじゃないか」というようなことを言ったりしたけど、うまくいかなかったね。
――具体的にはどのようなアイデアをお持ちだったのでしょうか?
西 DVDを入れようと。DVDがあれば、ゲームソフトが出揃うまで、ユーザーは映画を観て楽しむことができるから。でも、それを言い出したころには、「1998年末発売に間に合わな
い」と言われて却下になった。
――ああ……なんというか、その後DVD再生機能を持つプレイステーション2が発売されて、まさにそういった使われたかたもされた結果、爆発的に普及したのは皮肉ですね。
西 さらにその後、“ドリームキャスト2”や“ドリームキャスト3”の構想もあったんだけど。メモリーを増やして、2.5インチのハードディスクをつけたり、USBポートをつけたり、それはカートリッジ式で取替可能にしたり……。1999年9月にスペック案としてメモしたものが残っていて、“ドリームキャスト3”では他社との協業や、ひとつのチップの上にCPUとGPUを載せると書いていたりする。
――けっきょく、セガはドリームキャスト以降、ハード事業から撤退する決断をしました。その直前には、マイクロソフトに「ハード事業をいっしょにやらないか」と提案しにいったとか。
西 そう。大川さんと入交昭一郎社長(当時)、トップクリエイターの鈴木裕さんや中裕司さんといっしょにアメリカに行った。会社は違うけど『シーマン』の斎藤由多加さんも。当時マイクロソフトはX boxを開発中で、それとセガの次世代機をくっつけていっしょにやろうと。僕が通訳をした。クリエイターを連れて行ったのは大川さんなりにセガの本気を伝えるためだったんじゃないでしょうか(※8)。
――それはすごいメンバーですね。マイクロソフトは、ドリームキャストにウィンドウズを提供していたという関係性もありますし、次世代ハードの共同開発も可能性としてはありえない話ではなかった……?
西 実際、ビル・ゲイツは乗り気だった。
――おお。そこでマイクロソフトが「やろう」となっていたら、また歴史が変わっていたかもしれません。
西 まあ、歴史にifはないからね。そのときはマイクロソフトの担当者が首を縦に振らなかった。ただ、その人はその後マイクロソフトを辞めてしまったけど、もし別の人が担当者だったら……ということは思わないでもない。
――これも歴史の綾ですか。
西 いろいろあるものだよね。そんなゲーム業界で、『ファミ通』は35周年! すごいよね(笑)。おめでとう。
――ありがとうございました!

#455 久しぶりにNHK

2020-12-09

月曜日にNHKの収録があって、海外向け放送なので全部英語だった。ZOOMで英語を一日に何時間も話すような生活をしているので、なんとか2時間の収録は乗り切った。これからこういう企画が多くなって来るのだろう。ヨーロッパとアメリカを跨いだ時間の調整がどんどんややこしくなるので、自分の時計をGMT(グリニッジ標準時)を使うことにした。表記はZ1830のような感じ。慣れるのに時間がかかるのでは。

#430 コメンテーターの上位概念が必要ではないか

2020-10-16

テレビのニュースショーの売りはコメンテーターである。実に様々な種類の芸人、勘違いアナウンサー、いかれた学者、弁護士、目立ちたがり元官僚などがテレビにでて意見を述べ、ときどき炎上している。コメンテーターの好き嫌いはインターネットでやり取りされている。このコメンテーターは立派だなぁと思う人がときどきいる。そういう人にコメンテーターではない、賢人としての新しい肩書きがあればいいのにと思う。それがなにかを最近考えている。コメント以上の立派なコメントをする人たちのこと。

#414 反省記 発売

2020-09-08

マイクロソフトの時代とアスキーの時代を主に述べた自分の「反省記」が本日発売になった。60歳のときに書いた「僕の履歴書」(限定出版)と、僕と大川功氏との関わり合いを書いた「ベンチャーの父大川功」(アカシックライブラリ)をベースにまとめた本である。大学の教員になってからの2000年からのここ20年は、あまりはっきりとは書けなかった。ページが足りなかったからである。死ぬまでにこの20年と今からの大学を作る期間のことを付け加えた本が今年の僕の総括本になるのであろう。8月17日に脱稿してから体の力が抜けてしまって、たいへんである。45歳までの人生の決算を64歳でしたことになる。やっとこれで新しい毎日に取り組めそうな気がしてきた。

#265 久しぶりに生放送2時間出演

2019-06-25

BSフジのプライムニュースに招待されて2時間でた。政府が決めたIT政策大綱についてIT担当の平井大臣から直接お話を伺えた。自分では緊張していないつもりだったがあとで録画を見ると目が緊張でつり上がっていた。ヒゲも剃っていないのや爪を切っていないのが4Kだから丸わかりで恥ずかしかった。自分で見て白髪が増えたなと、思った。

2019/06/18 『目指すべきIT立国論 “IT賢人”が直言!』【前編】
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d190618_0.html


2019/06/18 『目指すべきIT立国論 “IT賢人”が直言!』【後編】
http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d190618_1.html

#245 映画の原点はフランスにもあった

2019-05-21

パリでオペラを見る機会があった。舞台と俳優の歌いとオーケストラの組み合わせで数時間の劇が上演された。それを見ながらフランスが国策としてオペラの上演をサポートしてきたことを考えながら、フランスが映画をやはり国策としてサポートしてきたことが腑に落ちた。アメリカのハリウッドは娯楽としての映画を追求してきたが、フランスの映画は娯楽というより文化の保護として育ってきたのだと感じた。映画を国策としてはっきりと保護してこなかったのがイタリアである。イタリアは歌劇場は素晴らしいが、歌劇場だけである。フランスは歌劇場と映画。アメリカは映画だけ。日本はどうだろうか。オペラを映画にする会社などない。ミュージカルをやっている会社は海外のものばかりだ。歌舞伎ぐらいが日本のオリジナルの舞台になるのだろうか。しかし歌舞伎の映画は聞いたことがない。これでいいのだろうかと思った。

#238 メディアの本質とは言語ではないか

2019-04-24

郵便、出版、新聞、インターネット、テレビ・ラジオのようなメディアについて考えてみる。これらに共通するものはなにか。それは紙メディアと電子メディアでは全くありようが違うが、よく見てみるとすべてに共通する部分というのは、言葉を伝えることができるということである。人間にとって写真とか音楽というのはあくまでも言葉の表現を盛り立てるものであって写真や音楽が言葉と同じようなコミュニケーションパワーがあるのかということは様々な意見があると思う。3次元スキャナーと3次元プリンターを組み合わせた立体物コピー機を作ろうとしているが、3次元コピー機は言葉をコピーすることはできないので、物好きのおもちゃで終わってしまうのではないかと、メディアの本質を考えながら思った。

#82 ポケモンGOは情報収集ツールになるのではないか

2016-09-06

先月から流行っているソフトのポケモンGOがある。このソフトはゲームとしてなかなかの出来であるが、ポケモンGOをしながらポケモンGOが強力な情報収集ツールになるということを思いついた。スマホのカメラ使ってGPSの情報をとっている。これはポケモンGOを遊んでいる人全員をスパイにするソフトではないだろうか。当局が知りたい場所にモンスターをばらまけば良い。例えば、北朝鮮のロケット発射場やイランの核燃料精錬工場など。人目をさけてこっそりやっているところを調べにに行くのにとても都合がよい。ポケモンGOはアメリカのソフト会社が作ったゲームであるから、中国や北朝鮮やロシアでは時間の問題で絶対禁止になるだろう。逆に中国で作られたポケモンGOのようなソフトや、ロシアで作られたポケモンGOのようなソフトが、アメリカや日本で流行るようになるかもしれない。これからのインターネットゲームとスマホとのドッキングは軍事的利用を考えたときとてつもない可能性を秘めているのではないか。それを知らないのはユーザーだけだったりして。最近防衛省が大学の研究にお金を出すといっている。こういうプロジェクトの提案も面白いかもしれない。

#56 新聞と出版は死ぬのか

2016-04-05

インターネットの時代になって新聞と出版の景気がどんどん悪くなってきている。夕刊はどんどん姿を消し、出版社の経営は悪化し、取次は廃業している。たしかに読者は変わりつつある。今まで家で新聞を読んでいた世代がなくなってしまった。スマホでニュースを読んでいる。マンガもスマホで読む。しかし本当にインターネットで出版と新聞が死につつあるのであろうか。そうでない部分も考えられる。ひとつは同じような議論がテレビが出てきたときにあった。テレビによって新聞はなくなる。そのなかで勇気を出してテレビをやるのだとテレビを始めた新聞社が成功を収めている。テレビ朝日やフジテレビや東京放送である。新聞とテレビは共存した。なぜならテレビはタダだったからである。新聞はテレビの番組表を夕刊に載せお互いに助け合う関係でこの半世紀進んできたのではなかったか。テレビと新聞の共存を見て出版界の人は、出版とウェブは共存すると思ったのではないか。たくさんの出版社が電子出版を大騒ぎして参入し、しかし黒字になったところはいまだ少数である。黒字の筆頭はマンガとエロ小説である。

ではなぜ新聞と出版が苦しんでいるのであるか。私はそれは読者の嗜好が変わっていきつつあるからではないかと思う。多くの読者がタダの情報を消費していて、タダの週刊誌の情報サイト、タダの電子出版サイト、もちろんタダのホームページを見るようになり、新聞や書籍につかっていたお金はスマホの通信料に変わってしまったのではないか。

新聞は憲法の言論の自由によって保護されているがゆえに何を言っても自由だ。右ならば産経、左ならば赤旗、インテリならば朝日、ビジネスなら日経、スポーツなら読売。ローカルなら東京新聞を筆頭にそれぞれの県単位の新聞などと、新聞は十人十色の以上のバラエティに富んでいる。このバラエティを嗜好する読者の情報選択行動がメディアの盛衰に直結するのではないか。右翼も左翼も需要は変わらないだろう。スポーツも需要は変わらないだろうが、読売はどんどんスポーツ新聞化するだろう。日経を読まないビジネスマンなんていない。おそらく一番部数を減らすのは、インテリにターゲットをしぼっている朝日新聞であろう。インテリはもはや新聞なんて読まない。今まで新聞を読んでいた時間にインターネットで自分がもっと情報を選び、誰でもが評論家のふりをしたブログを書く。

テレビ、ラジオ局は放送法によって公平中立が義務付けられている。最近総務大臣が変更している放送局は停波させるといって物議を読んだ。アメリカはこういう制限がない。こういう制限がなくなるのは時間の問題であろう。日本のテレビ局が新聞のように右と左とインテリとマネーと宗教とに分かれて、チャンネルがそれぞれ御用コメンテーターを抱えてバラエティに富んだテレビ放送が当たり前になるのが目の前にきている。

最近のメディアはマスコミ(新聞テレビのこと)もインターネットもひどすぎる。まだ立候補もしていないタレント候補者のスキャンダルや議員のスキャンダルやタレントのゴシップや犯罪者の犯罪の詳細についての記事が多すぎる。かくいう私もなんか事故が起こると全録ハードディスクレコーダーをみながら、どこの局がどういう論調で報道しているのかを比較して楽しんでいる。でも足腰をいかした機動力を持って取材をした記事は少なく、インターネットのまとめサイトみたいな番組ばかりでだんだん飽きてきた。結局ここ15年間スマホで育ってきた世代に対して、スマホ的な情報提供をするようになったテレビと、スマホ的なホームページを作り続けているメディア各社が売れているだけのことではないか。だから浅くて軽くて早いものはテレビとインターネットにまかせて、新聞と出版は時間がかかってもの深くて重いものに方向を変えていけばよいのではないか。高品質を好む読者はいつの時代にも必ず存在する。しかしそれが行き過ぎたら独りよがりの世界に突入して奈落の底に落ちていくだけである。不特定多数と特定少数の線引きが大切なのである。そういう変化が紙の世界とエレクトロニクスとの新しい共存を作りだしていくのではないか。

#38 週刊アスキーデジタル化とはなんだったのか

2015-10-13

週刊アスキーが紙媒体から撤退し、6月から電子版週刊誌になって、4ヶ月たった。最近会った広告代理店によると有料購読者はたったの6000人らしい。がっかりである。私の言ったとおりになった。週刊のときの発行部数が6万部だったのでこれは10分の1になったことになる。週刊アスキー最終号に、電子版のお試しパスワードをなぜつけなかったのか。これなら週刊アスキー廃刊まで時間の問題であろう。国会で数珠をもってお焼香をした山本太郎のような気持ちになってしまった。

ではどうすればよかったのか、どうしなければならなかったのか。まずとりあえずできることは、無料にすることだ。それから日刊タブロイド新聞を発行することだ。セーラー服、コスプレ、エロ、グロ、ギャンブルなんでもありの日刊夕刊紙、つまり、通勤帰りの人を狙った夕刊紙を首都圏および政令指定都市で発行するのである。そうすれば10万部はいくと思う。いろいろ考えれば生き残る可能性はあるのではないか。そうでないと、週刊アスキーの事業責任者は責任を問われてクビはカウントダウンではないか。角川がアスキーを買った2つの大きなクラウンジュエルは『週刊アスキー』と『週刊ファミ通』ではなかったか。王冠から宝石を取り出してゴミ箱に捨てたのがアスキー出身者でないことを祈る。

#18 政治学とマスコミ報道の建前と本音

2015-04-08

国際政治学について興味があるので、国際政治学会に参加している。しかし友人から国際政治の研究はやめたほうがいい、と言われた。なぜかと聞くといつの時代にも政治家の本音はわからないというのだ。もう少し詳しく教えてくれと言ったが、国際政治の世界では建前と本音がセットで流通していてその2つを研究するということは至難の技であるからだそうだ。いろいろな政治活動の究極は大国同士の対立であったり、一部の人たちが大金を儲けるための行動であったりするのだが、表面的にはそういう話は一行も報道されない。ほとんどの人たちは、表面的な国際政治を語っている。本音をテレビ番組で発言した古賀某は抹殺されたが、司会者や官邸はきれい事しか言わない。霞ヶ関を歩いているデモ隊はお金をもらって動員されている人たちである。誰が払っているのか、一人いくらもらったのか、弁当はついているのか、などを報道した新聞はない。政治に建前と本音があるようにマスコミにも建前と本音があるようだ。民衆を愚弄した世界ではないか。これが国際関係にまで拡大されるとヨーロッパ金融資本の陰謀論や人種問題などが出てきてさらに複雑になる。

どこかの新聞社のひとにきいたことであるが、「うちは左がかっているのではありません。日本の保守層に潜む左的な気持ちを代弁しているだけです。我が新聞はバリバリのエスタブリッシュメントです。野球の好きな新聞や日の丸の好きな新聞とは違います。」などと言っていたりする。本音の発言として歓迎したい。

だから政治学は常に両建てで大衆のための建前と支配者の本音を論ずるべきであり、マスコミはテレビラジオを含めてマスコミとその背後にあるもの、つまり、マスコミに金を出しているひとの意図と、マスコミを監督している権力者の意図を論じるのが本質的なことではないかと思う。

「サントリーのレモンジーナが品薄だ」、とインターネットでつぶやきが流れた。そうしたら「そんなもん山ほど在庫があるぞ」、と第二のつぶやきが流れた。フランス人にこれは「貴重なレモンジーナだ」とあげたら、「フランスにはない商品だ」と言っていた。「フランスも売り切れているのか」と聞いたら、「フランスには存在しない」と言っていた。フランスにないフランス製とはどうなっているのだ。

アジアインフラ投資銀行に日本が投資しなかったことを巡るインターネットの論調はもっと傑作である。イギリスが投資した。わざわざ王太孫が中国に参加すると言いに訪問した。香港をめぐって中国とイギリスはずっと特別な関係であって、これからも特別な関係にありたいということをもったいつけて言いに行ったのだ。そのあと、そのトリックに引っかかったのこりのヨーロッパの国々が参加を表明したのは周知のとおりだ。安倍首相は外務省の幹部を呼んで「どうなっているのだ」と騒いだというネットの記事があった。「日本は出資するべきだった」という論調が出はじめている。誰でも好き勝手なことを言える世の中であるが、なにかおかしくはないか。日本のインターネット論壇には中国の友達がたくさんいるようだ。戦後70年の歴史を学べば日本が出資するわけがないということなど中学生でもわかるのに。

インターネットの時代はレベルの低いウソは通用しないということを皆が知るいい機会であったと思うのは簡単すぎるのではないかと思う。三重四重に大衆の心を心理学的に分析して動かそうとしている人たちがいるということを忘れてはならない。政治もマスコミもインターネットも。

#17 「週刊アスキー休刊、ウェブに全面移行」私ならこんなことはしない

2015-03-31

知り合いから電話がかかってきて「週刊アスキーが休刊するって知っているか」、と教えてもらった。思えば20年くらい前に会社再建の社運をかけて立ち上げた週刊誌だったのにやめてしまうのは、とても残念である。

週刊誌がウェブに負けるのはスピード問題である。角川の内部のことはなにも知らないので、そとから見た想像の話であるが、誰かが歴彦さんにいい格好して「ウェブに全面移行しましょ」なんてささやいたのだろう。どうかと思う。角川のような大出版社は大金をはたいて買収した週刊誌でも、トイレの水を流して電気のスイッチを切るような感じなのだろうか。

ウェブの発表文にはインターネットに移行すると書いてあるが、誰が書いたのか知らないが間違った戦略である。1週間待てないなら、週刊誌から日刊紙に変えればよいではないか。Windowsの発売日に使える割引クーポンを印刷したマイクロソフトの広告なんて載っていたりして。あと、金曜日に特集主体の日曜版を出して週刊誌も温存することも可能ではないか。週刊誌を休刊したあとにしなければならないことは日刊紙の夕刊アスキーを刊行することではないか。インターネットの時代ですべてはウェブになると言う人がいるが、私はそれは間違いだと思う。紙にインキで印刷したメディアは決してなくならないし、有料で情報を買ってもらうことができる最適なメディアである。無料のウェブサイトの広告をあてにするのはテレビの民放モデルである。出版は広告よりも記事の中身で読者に買ってもらうのが本筋ではなかったか。

私なら夕刊フジのようなタブロイド版の日刊 夕刊紙を出す。「夕刊アスキー」である。東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、仙台、広島、札幌、福岡で発売するのだ。新聞社と提携して宅配もする。もちろん電子版も。ウェブも連動させる。出版業界にいない負け犬の遠吠えと言われるのであろうか。しかし、週刊アスキーの初代発行人としてそれぐらい言ってもいいだろう。

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