nishi.org 西和彦のコラム

西和彦の人生

#365 死ぬかもしれないという気持ち

2020-03-24

糖尿病なのでコロナにかかったら死ぬといわれている。だから健康には気をつけている。そういう気持ちになっているので毎日の生活の中で本当に大切なことだけを考えて生きている。だから毎日が楽しい。究極の利己主義かもしれない。まだまだし残したことがありすぎて、このままでは死んでも死にきれない。せめて今までの活動の集大成をしたいものだ。

#359 名誉毀損裁判判決確定

2020-02-26

安原伸被告に対する民事の名誉毀損の損害賠償裁判は、安原が負け、なおかつ控訴を断念したので、判決が確定した。次は認められた損害賠償を請求することになるが安原が払うかどうかはわからない。刑事裁判でも有罪罰金、民事裁判でも有罪損害賠償。かなり長い期間であったがやっとここまできた。もう少し。

#348 定年まであと2年

2020-02-04

IoTメディアラボの仕事はあと2年となった。これまでの3年間はあっという間に過ぎてしまった。結果を出す様にと上から言われている。やらなくてはならない。とりあえず3月の年次総会でのまとめに注力したいと思う。去年まではうちうちの発表会であったが、今年は対外的に発表会をしてもいいかなと思っている。

#345 名誉毀損事件は私の勝ち

2020-02-04

安原伸による名誉毀損事件は1月の末に判決が出てこちらが勝訴した。慰謝料を求めた民事事件であるので、安原が納得しないのであれば控訴するだろう。しかし既に安原は刑事事件で有罪、罰金になっているので民事で控訴しても慰謝料の金額が変わるぐらいのものであろう。随分長い判決文章であったので、たいへんな量の仕事だったのだろう。裁判の終わりに強く和解を勧められた。和解の書類は数ページなのだそうだ。

#316 20年かかったアマン京都ホテル

2019-12-13

11月1日に開業した京都のアマンホテルに見学に行ってきた。男5人の団体で日中に行ったので、時間を取り直して今度は泊まりに行ってみたい。1泊25万円以上とのこと。とても素晴らしいホテルだった。

実はこの土地を私は所有していたことがある。アスキーの社長をやめたときにホテルを作ろうと考えたことがあった。この土地を手に入れて、アマンホテルを誘致してホテルの許可を京都市にお願いに行った。当時は制度の縛りが厳しくて、ホテルはダメと京都市に言われたので、さっさとあきらめて土地を売ることにした。それでもあきらめなかったのが当時のアマンホテルの社長のエイドリアン・ゼッカ氏であった。アマンホテルは現在の社長の手に渡ってしまったが、アマン京都のプロジェクトは生き続け、20年後に開業にこぎつけたのである。見切り千両というが、夢を何十年もあきらめないことも大切だと思った。自分のオーナーシップはなくても、自分がかつて抱いた夢が現実のものになったことがとてもうれしい。

#243 私の人生の夢

2019-05-01

今は大学で教えているが、自分の人生の夢は大学を作ること、もしくは大学を再建することである。もう一つの夢は先端医療を行う病院を作ること、もしくは再建することであると気が付いた。そんなことは西には絶対無理という人もあるが、大学や病院の再建をやってくれという話はたくさんある。慎重に選んでいるところだ。

あとは、中学高校の経営については、須磨学園夙川中学校高等学校がこの4月からスタートし、この学校を10年以内にいまの須磨学園と並ぶ進学校に育てていきたいと決心している。

#192 ×××なしでやってみる実験

2019-02-13

Googleに支配されている感じがする。メッセージとか広告とか、オンラインディスクとか全部見られていると僕は裸だ。アカウントにハッキングされたらもう終わりだ。パスワードは20文字にした。覚えるのに苦労した。使わないと忘れてしまう。それでもGoogleにすべてを委ねることが嫌になりそうなので、Googleなしで生きていく実験をはじめた。G Mail、Google Calendar、Google Map、Google Search、Google Driveなど、ふだん使っているGoogleの機能を代替する他のアプリを探してテストしている。そういうことをしながら究極は自分でサーバを立てて自分でやるしかないというところまで追い込まれてしまった。近いうちにこのプロセスで思ったことを発表したい。

次にしたいことは、スマホなしの人生の実験。安倍総理大臣はやっているみたい。24時間一緒の連絡係がいるのかも。防衛省から派遣された安全な通信装置を背負った通信兵なのだろうか。

その次にしたいことは、パソコンなしの人生の実験。これはもう10年以上もやっていて、バインダーの穴が空いた方眼紙を持ち歩いている。無印良品製。そこにぺんてるの筆タッチサインペンでメモやスケッチをする。このスピードの速さを経験するとパソコンは使えない。

無人島にいくなら何を持っていきますか、という問いには「バインダーと穴の空いた方眼紙とサインペン」と答えたい。少し前は「衛星インターネットとパソコンとカラープリンター」だったけど。

#162 古本市に行って大人買い

2018-11-13

本をたくさん持っているつもりでいたが、最近古本市に行くことがあって、ひさしぶりに本を100万円以上爆買いした。驚いたことにすべての本が値段が10分の1以下だった。ぼくが通常買っている技術系の本は古くなってしまえばただの歴史資料でしかあり得ないが、古典や日本建築や料理の本はどんなに古くなっても値打ちは変わらない。源氏物語の研究書や古典の関連全集、料理本でいわゆる名著といわれるものをみんな買った。こんな幸せな気持ちになったことは久しぶりだ。今から20年前の40代に1000万円かけて美術書を買えたかというと、それはできなかった。昔の出版人のガッツを感じた。これからも古書市に行こうと思っている。

#152 2018年後半からはじめる新規プロジェクト

2018-10-02

10月になった。後期にはじめる新規プロジェクトを決めたので、決意を持って公表したい。

1.人工知能システムの開発。IoTラボなのに人工知能もやらざるを得ない状況になってきた。最後発の人工知能プロジェクトであるが、MITのミンスキー博士にいただいた最後のテーマに真剣に取り組もうと思う。「コンピューターに常識をどう教えるか」ということである。

2.省電力アンテナを100本以上積んだ超小型人工衛星の開発。

3.メニコアプロセッサにおけるスケーラビリティの改良。これはイスラエルの大学との共同開発プロジェクトである。博士課程の学生を受け入れ。

4.ハードウェアとソフトウェアを組み合わせてデータベースソフトウェアの速度を1000倍くらいはやくする試み。詳細は秘密。

5.フルウィンドウズベースのスマホの開発。まず機能モデル。次にそれに使うワンチップ半導体。台湾のメーカーと共同研究。

などである。

#149 65歳からの仕事

2018-09-19

最近健康に自信がない。免疫がさがっていて感染症によくかかる。今は強力な抗生物質があるからいいけど、そのうち効かなくなったらどうしようとビクビクしている。ずっと現役で第一線で仕事をすることは無理なような気がしてきた。そこで考えたのが宗教の仕事である。自分の故郷の神社の神職にさせてもらって社務所でお仕事をするというのがいいと思うようになった。キリスト教や仏教より、神道の方がぴったりくるような気がする。子どものときに住んでいた家の近くに神社があって、年末のお供え物を届けるのは私の分担であった。私の母の兄は、神宮皇学館という神職の大学を出て、須磨学園の校長の前に神職をしていたという。そういうことに血を感じる。来年になったら神職の資格の取得をはじめようと思う。

#139 ダイヤモンドオンラインの記事

2018-08-02

出たくて出たのではなくて、昔から仲のいい編集者から頼まれて話しただけなのに、「またいい訳言ってる」などと言われてしまった。「還暦過ぎたのだから過去はリセットしたら」とも言われた。それができないのよね。生々しい実話を山ほど話したのに肝腎の部分はみんなカットされていた。「今さら人の悪口をいうのはやめたほうがいいですよ、それにみなさんまだご存命ですよ」と編集者に言われた。あと10年は生き残ってそのうち全部しゃべってやろうと待つことにした。でもそのときには誰も知っている人がいなくなり、無視されるだけか。過去を否定することは、自分の足をめがけて弾を打つことであり、上に向かって唾をはくということみたいな気がする。いいことも悪いことも含めてそれが今の自分を作っているわけで、私のような者が再び表にでることはほぼないと毎日還暦の気分でやっている。マイクロソフトで喧嘩して、アスキーでも喧嘩して、大学でも喧嘩しての喧嘩男の人生。自分で自分がつくづく情けない。しかし、イヤなものはイヤ、嫌いなものは嫌い、といい続けてきたから今の自分がある。自分の好きなことをやって残りの人生が過ごせればそれでいいのではないか。超お金持ちや超有名人や超セレブになれなくても自分は今で十分幸せである、と思っている。

#137 夏休みをどう使うか

2018-08-02

8月にはいってやっと夏休みになりそうだ。しかし休んでしまうとほかの奴らに負けるから、週4日制で月火木金、朝6時から仕事はじめて12時に終了して、午後は仕事しないことにした。これで効率は50%割るだろうが、かえってクリエイティブになることができれば、こんないいことはないと思いながらの実験である。あと大食い、ガブ飲みをしないで食事を一定にして少しぐらい痩せたい。同時に身体にIoTセンサーをつけて自分の身体で実体験をしてみようと思う。

#106 僕の人生の課題と発展のプロセス

2017-05-10

15年ごとに仕事が変わっているということに気がついたのは、去年自分の60年をまとめた本を書いたときだった。15歳から30歳はエンジニア、30歳から45歳は経営者、45歳から60歳は中学高校大学の教員という転職の歴史があった。60歳からはもう一度エンジニアに戻りたいということで芸術情報学部から工学部に変わった。あと、この30年間趣味として進めてきた音楽と美術の世界をどう本業と位置付けたらいいのかということを考えてみた。

まず、分野で分けると四つになる。テクノロジーとビジネスとアートである。それに加えて個人の知的生産の技術の構築が大きなテーマになっていることがわかった。次にこの分野それぞれに四つの段階があることに気がついた。最初は「遊び」の段階、次はその「遊び」が「仕事」になる段階。そして仕事の深みにはまっていき経験が蓄積し「学び」になる段階。その次はその学んだことを人に「教える」段階である。

現在、須磨学園で中高生に向けて自己実現をする教養総合科目を構築して実践している。また、埼玉大学大学院ではベンチャービジネスを教えている。東京大学では学部と大学院で情報科学を教えている。それぞれ自分が仕事として取り組んできたことの最後の段階なのであろう。コンテンツやアートについては出版からはじめて映画、音楽、写真などに展開してきたがこれをどういう風にこれから進めていくのかが、問われているような気がしている。

四つの分野が縦軸で、四つの段階が横軸のマトリクスが私の人生そのものだと気がついたのである。61歳からの集中していかなければならない焦点がはっきりしてよかったと思っている。

今になって振り返ってみると、過去にしたことで自分が失敗と思ってきたことが数多くあるが、それらは皆その後の人生のための大切な実験であったのだと思うようになった。失敗と思って後悔ばかりして反省をしなければ失敗は永遠に失敗である。成功のきっかけとしての実験と捉えることによって私は初めてそこから虚心坦懐に学ぼうという気持ちになることができた。えらく高くついた学習体験ばかりの人生であったと苦笑いしている。

#95 4月からの新しい大学の仕事

2017-03-02

60歳になったので、去年の3月、17年勤めた尚美学園大学を退職した。退職したときにありがたいことに名誉教授の称号をいただいた。とりあえず、最年少の名誉教授なのだそうだ。称号のご通知のお知らせに大学の悪口をいったら称号を取り消す、犯罪を犯して刑事罰に処せられたときは取り消す、などなど。但し書きが書いてあった。いつ何時取り消されるわからない称号なので、名刺にはいれていない。

大学での仕事をもうやめるということではなく、次にどうゆう仕事をしたらよいのかということについて考えてみた。

1つは音楽芸術系の大学で引き続きマルチメディアを中心としたコンテンツのことを研究教育する。

2つ目はエンジニアリング中心の大学に戻ってインターネットとマルチメディアを研究開発教育する可能性を追求するということ。

3つ目はどこかのビジネススクールで、ベンチャービジネスを教えるということ。

この3つの可能性に加えて、本来ならば、IT関連の専門学校に関わるという話もあったが、地元の一人の議員の反対にあって断念した。今さらこのことを書いてもなにも誰も幸せにならないので、長くは書かないがそれはそれはひどい言葉で中傷された。インターネットで検索した情報だけをたよりに中傷するのはひどすぎる。 一人の議員の言葉は一人の言葉ではない。この議員に投票した数百人住民の声があるということを忘れることはできない。

短期的にはエンジニアリングの世界にもう一度戻りたいと思っている。今までのパソコンインターネット関連の積み残しの研究と開発を取り組んでみたい。また、長期的には音楽および映像の教育機関においてクラシックや次世代のコンテンツの開発にも、取り組んでみたいと考えている。エンジニアリングに10年、ミュージックとアートデザインにさらに10年、取り組めるようなこれからの人生であったらよいと考えている。

#73 私の飛行機の計画

2016-07-01

インスタグラムに彼女と一緒にプライベートジェットに乗っている写真をアップした男がいる。東京と神戸をプライベートジェットで通っている人もいるそうだ。神戸空港の関係者が言っていた。 自分は新幹線で神戸まで通っている。そういう人たちのやっていることをみて、自分なりの飛行機プロジェクトを考えてみた。

単発の軽飛行機を買おうと思う。しかし軽飛行機なら何にも使えない。だからフロートがついている水上飛行機と同じタイプのフロートのついていない中古の機体を安く買って、フロートだけ新品を求めてつけるのはどうだろうか。中古の機体は5000万もしない。フロートは数百万円である。つまり5000万以下で楽しい自家用飛行機が買えるといういことである。問題は日本の海上の飛行機の離着陸の法規制である。アメリカで許されていることであるから、日本の航空局もしかるべくちゃんと話をすれば前向きに考えてくれるのではないだろうか。老後のために完全看護のケアホームに入るために5000万円を出すより、水上飛行機を買って十分楽しんだあとにサン=テグジュペリのように墜落するような人生の終わりかたがしたい、と考えたが、飽きるまで乗ったあとにもう一度中古で高く売るのが落としどころか。

#48 60歳を迎えて

2016-02-19

2月10日の誕生日にパーティーをしてもらった。藤原洋さんが発起人代表になってくれて、150人の人が集まってくださった。大変ありがたかった。しかし今自分と一緒に仕事をしてくれている身近な人は来てもらうことはできたが、会場がせまくて昔からの知り合いの人にお誘いすることができなかった。「なんで俺をよんでくれなかったのか」「なぜ私を無視したの」というお叱りを大変頂戴した。大変申し訳なかった。そのうち次の就職が決まったら、もう一度2度目の宴会をしようと思っている。

当日はパーティーでなにも食べれず、帰りの新幹線の中で、おみやげのお赤飯を食べた。お赤飯2人前を胡麻をかけて食べた。とても幸せな気持ちになった。

#47 60歳を迎えるにあたって

2015-12-30

2月に60歳になる。還暦である。15年ごとに転職してきたので、転職することにはした。しかしまだ決まっていない。この15年間メディアを中心に音楽や映像に取り組んできた。その方針は変えないで内容をもっとハードウェア的なものに移してゆこうと考えている。

還暦や還暦を過ぎた知り合いが本を出版したりパーティをすることが流行っている。藤原洋氏の本はたいへん正確であった。最近インプレスから出た古川享氏の本は自慢ばっかりでたいへん気分が悪い。まるで裁判の陳述書のようだ。1ページ読むたびに腹が立つ。古川個人が業績として何をやったのかをはっきり書かないで、オブラートに包んで全部自分が関係してやったように書いている。会社との秘密保持契約はどうなっているのか。こんなことをペラペラ本に書いていいのか。本を読みながら、自分の本は古川の本のような自慢タラタラの本には決してしたくないと決心した。知り合いが「腹を立てるのは60歳の大人らしくありませんよ」とお節介のメールをくれた。ほっといてくれ。しかしこれがきっかけとなって、自分も自分の本を書くことにした。年末までに15歳までを完成させ、1月中旬までに30歳。1月下旬までに45歳まで書いて、1日1年というスピードで取り組む計画を立てた。2月末に本が出なかったら還暦落第なのだ。出版社はまだ決まっていない。最悪でもKindleで出版はしようと思う。売れ行きをみながら出版社にお願いにいこうか。

来年から仕事は変わるが還暦という意識は捨てようと思う。昔の人の60歳と現代人の60歳は違う。だから60年間の人生の延長線上の上に2016年があると考えようと思う。「誕生パーティをしてやってもいいぞ」という誘いはまだないが、誕生日は普通の日のように過ごそうと思う。スパゲッティの出前でもとって。年末の30日も普通の日のように仕事をしている。健康な体があって自分の好きな仕事が山ほどある。気の合う仕事仲間がいる。こういうことがどんなに幸せなことなのかということにやっとこの歳になって気がついた。もっと早く気がついておればよかったのにね。願わくは自分がこれからする仕事が人に喜んでもらえて、世の中の役にたつようになればこんなうれしいことはない。そういう気持ちで今の仕事と新しい仕事に取り組んでゆきたいと思った。

#40 ビル・ゲイツ60歳の誕生パーティー

2015-11-03

10月の末にビル・ゲイツの誕生パーティーがあって、シアトルにいってきた。場所はビル・ゲイツの自宅の大ホールだった。写真はたくさん撮ったが公表すると「次は呼ばない」と言われそうなので、写真は公表できない。招かれた人はビルのお父さん、お姉さん、妹をはじめとする家族。ウォーレン・バフェットを筆頭とする財界の大物、ジェフ・ベゾスもいた。ところが50歳の誕生日から変わったことがあった。ポール・アレンがいない。スティーブ・バルマーがいない。昔のマイクロソフトを支えた巨人たちが一人もいなかった。とてもびっくり。反対に今のマイクロソフトの大幹部は全員集合していた。もちろんゲイツ財団の大幹部も勢ぞろいしていた。そこで私は次のように思った。ビル・ゲイツは過去のマイクロソフトと決別して、新しい社長の率いる新しいマイクロソフトと本気で仕事をしようとしているのではないか。表面的にはCEOから引退したと言われているが、引退した創業者の元に創業仲間が一人もいず現役の大幹部勢ぞろいの誕生パーティーなんてあるだろうか。これなかった人がビデオで言い訳を述べているのが、傑作だった。ホワイトハウスの人、フェイスブックの人(お金出してもらっているからね)、有名なベンチャーキャピタリストなどなど、このビデオが上映されたときにみんなで大笑いをした。僕が欠席してもビデオを送れとはこないかもしれない。

話は変わって天皇とその取り巻きの皇族、華族、貴族との関係は、天皇との血の濃さ、天皇との距離感で決まるという。会場の端の席で眺めていて、着席の席順は綿密に考えらえた素晴らしい配列であったことを発見した。ビル・ゲイツの奥さんのメリンダに「素晴らしい着席順でした」と言ったら、「大変だったのよ。喜んでくれて嬉しい。」と言っていた。

アマゾンの社長のジェフ・ベゾス氏に会った。ベゾスが開口一番に言ったことは「おまえはビルの友達か?」「そうだ」と答えると、「俺はビル・ゲイツの友達で、お前はビル・ゲイツの友達だから、友達の友達は友達だ」と言った。私はこの言葉でベゾスが一発で好きになってしまった。

ビル・メリンダ・ゲイツ財団の理事長を7年間務めたジェフ・レイクス氏に会った。久しぶりに話をしていると、彼は、僕が1981年にしたスピーチの内容を覚えていて、「たしかお前はこんなことを言ってたぞ」と披露してくれた。なんでそんなことまで覚えているの?」と聞いたら「その日は自分がマイクロソフトに入社した日だったから」だそうだ。レイクス氏はマイクロソフトでOfficeというソフト群を束ねた企画者である。僕は彼のスピーチを大して気をつけていなかったのでなにか彼に関係することはないかと、一生懸命思い出して、レイクス氏の奥さんの結婚前の苗字を言った。たまたま覚えていたからだ。そしたら奥さんがすごく驚いていた。レイクス氏に「お前うちの奥さんに気があったのか」、と聞かれたが、「その時俺は結婚していたのよ」と言っておいた。

30年前に喧嘩してマイクロソフトを辞めた僕を忘れずにずーっと誕生日のパーティーなどに呼んでくれるビル・ゲイツに感謝したいと思う。喧嘩早く人と仲直りしたことのない僕に人と仲直りをするということの大切さを教えてくれたのは彼である。

#36 60からの趣味

2015-09-17

来年の2月で還暦を迎える。つまり60歳になるのだ。目の前の差し迫った課題として、15年ごとの転職のことがある。30でアスキーの社長になり、45で大学教授になった。60からの仕事のことは何も決まっていないが、60から本気で取り組む個人的な趣味を新しくはじめることにした。それはヴァイオリン作りである。年を明けたらイタリアのヴァイオリン製造学校に入学してヴァイオリンの作り方を学ぶことになった。ヴァイオリン製造には修士とか博士とかはなく、入門した親方が「もういいよ」と言ってくれるまで勉強しなければならない。自分でどれだけできるかわからないが、やってみようと思う。楽器も今からスタートするのは遅すぎるかもしれないが、ヴァイオリンを作りながら、チェロかコントラバスをはじめてみようかと思う。

東京大学教授であった糸川英夫博士は日本のロケットの父と言われている。その糸川博士がロケットとともに研究をされていたのがヴァイオリンである。糸川式のヴァイオリンを開発されて、CDも出ている。普通のヴァイオリンのG線の裏にあるバスバー(低音支え板)だけではなく、E線の裏にあるハイバー(高音支え板)を付けてその分の重さを他の部品を削って軽くしてその分の重さを補償してヴァイオリンであると糸川先生の著書に書いてあった。そのヴァイオリンを演奏された、ヴァイオリニスト中澤きみ子さんのCDも聴いた。たしかにE線で発音する音が強調されていて魅力的な音がしていた。私は今までの伝統的なヴァイオリン作りを否定しないで、私なりの改造を実現させて私のヴァイオリンを作ってみたいと思う。ヒントはいくつかもうすでにあって、私はハイバーは使わないで、違う方法を使いたいと思う。また、ヴァイオリンの上板を改造してやってみたいと考えている。今までのスピーカーの製作の経験、スタインウェイのグランドピアノを分解した経験を生かしたい。

先日イタリアのミラノからクルマで1時間の町、クレモナに行った。クレモナのヴァイオリン博物館に行ってヴァイオリンの展示と本をたくさん買ってきた。11月には新作ヴァイオリンの展示会があるのでそれにも行こうと思う。1600年くらいからイタリアのクレモナで生まれた楽器であるヴァイオリンはその生まれた町、クレモナとは切っても切れない関係のような気がする。ヴァイオリンを作りながら同時にヴァイオリンの歴史も学びたいと思う。現在ではヴァイオリンはイタリアだけでなく、フランスやイギリス、アメリカ、中国でも作られている。世界に存在する音のなるヴァイオリンは約100万丁。そのうち最高のヴァイオリンと言われているストラディバリウスが約500丁、中国のヴァイオリンは1713年のストラディバリウスのコピーと言われているが、70万丁存在すると言われている。方やスタラディバリウスは10億円、中国のストラディバリウスのコピーは1万円だそうだ。この現実をどう捉えて、理解すればよいのかということも自分の大きなテーマにしていきたいと思っている。

#10 59歳の誕生日を迎えて

2015-02-12

この2月10日で59歳になった。還暦まであと1年である。このウェブサイトをリニューアルするために自分の経歴や業績をまとめている。3月末には大学評価のための研究業績書を提出しなければならないから、ちょうどよい機会である。自分の人生を振り返って、どうも人生は15年で転換してきたことに気がついた。

15歳までは普通の生徒であった。わんぱく小僧である。15歳になって自分はモノを作りたいという気持ちがとても強いということがわかった。30歳までの15年間の大きなテーマは、コンピュータを作るということであった。そのためのソフトウェア、そのためのネットワーク、そのための半導体、の開発に関わった。

30歳になって、日本に戻ってきて会社の経営に取り組んだ。30〜45歳までの15年間で、会社を上場させ、バブルを体験し、リストラを体験し、最後に会社は人手に渡ってしまった。お金持ちの会社に経営してもらうことによって、会社が永遠に存続する選択をしたのだった。

45歳のときに大学の教員と中学高校の管理者になることを選んだ。この14年間に教員として教育と研究、管理者として新しい中高一貫教育のあるべき姿を模索してきた。それらも一段落ついて私は60歳を迎えようとしている。

60歳からの人生の次の区切りはおそらく75歳であろう。幸いこれまで大病もなくやってこれたので、日本人の平均年齢を考えるとあと15年は生きていけるであろう。さて問題は、これからの15年で何をやるのかということである。オプションは色々ある。

まず、来る4月から大学の管理者の末席(学科長)に連なることになったので、このキャリアをどうすすめていくのか、ということが考えられる。次にまだ積み残しの研究テーマがたくさんあってその研究を続けたいという気持ちもある。

高級オーディオのビジネスをやっているが、これをちゃんと立ち上げたいという気持ちもある。

出版と電子出版についてもしっかり取り組んでみたい。

自分の専門はメディアとかビジネスであるが、それ以外に歴史研究を進めてきた。日本古代史、日本戦国史、フランス革命史研究なのである。これらの分野についても研究の成果を本にまとめたいと考えている。

この前、ビル・ゲイツに会ったら彼が「頭がシャープなのはお互いあと10年くらいだから、時間を大切にしなければな」と言っていたのを聞いて少しびっくりした。あと10年はしっかりはたらいて、頭がボケてきたらのんびりしようかと思った。それとも、頭がはっきりしている今からのんびりするのもいいかもしれない。結論をだすのにまだ1年はある。のんびり考えよう。

#9 2015年のテーマ

2015-01-14

年末年始風邪をひいてダウンした。理由は摂氏3度の倉庫で、4日間資料の整理をしたからだ。ほこりが肺にはいって気管支炎になってしまった。年末はテレビもネットも電話もかけなかった。年始はテレビとネットしか観なかった。そのあとメディアとの付き合いを一切断った日があった。メディアと付き合いがなかった日が一番ハッピーであった。

どうも去年は並行していろんなことを一生懸命やろうとしていたようだ。今年はいろんなことを一生懸命やるよりも過去の人生を振り返って整理してまとめることをしっかりしようと思う。自分がやったことや、自分が作ったモノについてタラタラと述べることとはなんだか自分の自慢をしているようでずっと控えてきたが、今までの自分を振り返って自分の活動がどうしてそのように発展してきたのか、について思い出しながら少しずつウェブにまとめていきたいと考えている。

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