nishi.org 西和彦のコラム

西和彦のエッセイ

#55 シャープと東芝について思うこと

2016-03-24

シャープと東芝について考えてみた。シャープが台湾の会社とやるみたいではあるがもめているそうだ。後出しじゃんけんでいうのではないが、もめるだろうと思っていた。なぜなら自分の少ない経験からであるが、台湾香港中国系の企業とのビジネスとは、契約書にサインしてからはじまるねぎりあいと文句のつけ合いが必ずあるということが常識である。あの台湾の会社がいい条件を出したのは日本の競争相手を落とすためのことであって、あんなお人好しな値段をはらう経営者が台湾香港中国にいるはずはないと思っていたのだ。おそらく買収価格は半分くらいになるのではないだろうか。

シャープの経営陣の態度に呆れた。2度とシャープの商品を買うことはないだろう。鴻海にシャープが突きつけた要求は、役員を残せとか、現在の事業をそのまま続けさせろとか、うんぬん。救済出資を求める会社の役員会がやることではない。私もアスキーを助けれくれと銀行にお願いにいったが、そのときに「私はどうなってもいいからアスキーを助けてほしい」といった。日本の再生機構の再建案は役員総辞職だったと思う。自分たちが生き残ろうなんて今やっている仕事を続けるなんて、そんな再建のシナリオはありえないのではないか。これは日本の再建の常道である。日本の再生機構の考え方はシャープをバラバラに解体して、他の会社数社と再編をすることであったと思う。私はこの案でよかったのではなかったかと思う。シャープという会社の部分が日本資本の会社として日本に残り、たとえ新しい名前がついたとしても日本の産業の一部としてその役割を担うべきではなかったかと思う。台湾の会社に買われるということはシャープは台湾の会社になるということで、日本は貴重な資本を失うことになる。役員が生き残るために会社を外国の会社に売ったということは残念である。

鴻海のオーナーの気持ちを推測してみた。年商数兆円の下請け仕事をしているそうだ。iPhoneも作っているらしい。数兆円も下請けをしている男のストレスたるや相当に大きなものだろうと推察される。いつなんどきお客に切られるかもしれないという立場の男は何を考えるだろうか。お客が絶対に逃げない状況を求めるのではないだろうか。つまりアップルに対して独占的に自社の液晶モジュールを供給することができたらアップルは永遠に顧客であり続けるであろう。鴻海のオーナーの発想はシャープがほしいのではなく、シャープの液晶モジュールがほしいのである。それを100%所有して意のままに操り、アメリカの巨大企業から下請け仕事をとってくるのが目的ではないだろうか。鴻海が買ってもシャープはバラバラにされるだろう。

東芝がたいへんである。東芝メディカルは7000億円で売り飛ばされてしまうそうである。それでも自己比率は10%らしい。私は東芝がこの先まともな会社に復帰することができるかに関して疑問を感じる。東芝はいい成績を出せずにどんどんジリ貧の会社になるのではないだろうか。その理由は、今回の決算のドタバタが世間の知るところになり、企業の決算を監督してきた公認会計事務所を怒らせてしまったからである。自分がアスキーの経営をしていたときに粉飾決算をしていたということではなく、経済学部の大学院のビジネススクールで上場企業の有価証券報告書を数期比較して企業の経営分析をするという教えてきた立場として、企業とその企業の会計監査を行う監査法人との関係が非常に大切であるからである。東芝の内部告発によって今回の事件ははじまったといわれているが、歴代の東芝の幹部がやったことは、東芝と監査法人の関係がよいときには、粉飾ではなかったと思う。しかし、企業と監査法人との関係が今のように緊張関係にあるときにはあきらからに粉飾になる。つまり、会計監査の基準は企業と監査法人との緊張関係にうごいているということだ。今回の内部告発によって東芝は融通のきかない決算を強いられる企業に転落してしまった。手も足も縛られて猿ぐつわをされて、走れというようなもので、他の企業が弾力的にやっている決算ができない会社に東芝はなってしまった。厳しすぎる会計基準をこれから少なくとも5年は強制される会社となった東芝は利益を出して再浮上することは困難なことではないか。

東芝のこんなにやばい情報がただの一介の社員の正義感でなされた内部告発なのであろうか。私は違うと思う。私の経験によるとこれは社内の大きな派閥争いの結果ではないかと思っている。東芝には知り合いがいないので実態はわからないが責任を追求されているここ4代くらいのトップでない派閥が結託しておこなったことではないかと邪推する。しかしその派閥の人たちは決算基準が超厳格化されて会社が疲弊するということを考えてきたのか。おそらくそんなことまで考えていなかったのではないかと思う。

鴻海の社長は創業者でありオーナーである。シャープの社長はサラリーマン。東芝の社長もサラリーマン。やはり問題にすべきは経営者の力量の如何であろう。山ほど現金を持っている会社がお金を使わない。借金でM&Aをしてその借金の利払いのために社債を発行するとんでもない会社もある。21世紀の日本では経営者の劣化が一部おこっている。日本の戦後の成功は傾いた企業を業界再編という旗を振って蘇生再生をしてきた歴史ではなかったか。会社の名前がたとえなくなっても、歴史はその会社の名前を忘れないのではないか。

#54 すべての人が発信することをもう誰も止めることができない

2016-03-15

大阪のこの校長はおそらく処分されるのであろう。インターネットの時代に少しでも人がカチンとくるようなことを発言すればみんなで寄ってたかってそいつをいじめようとする社会になりつつある。今までは新聞や週刊誌やテレビがメディアの持つ見識と良識を元にしたアジェンダ機能、世の中に何が問題かを指摘する機能を果たしてきたが、それが変わりつつあると感じる。一人一人の受信者の感性がインターネットをとおして増幅され、一人一人の国民すべてがマスコミのように発言できる世の中になった。昔ニューメディアという言葉があって、この言葉はマスメディアに対して個人が発信できるメディアということで使われるようになった記憶がある。

一人一人が発信できる社会、匿名で発信すれば2ちゃんねるのような世界になる。実名で発信すればフェイスブックのような世界になる。アメリカの大統領選でトランプが発言しているのは下品な不動産屋の発言ではなく、アメリカ人が今まで発言できなかった本音をトランプ候補が発言しているからあんなに彼が受けているのかもしれない。今までの価値観にしばられた旧世代の我々にとってはとても発言できない内容であるが、そういうこだわりのないトランプ候補を支持しているのは、本音の発言をすることがあたり前で育ってきた30歳以下の若い世代ではないだろうか。インターネットの存在が国の形を変えつつある。その影響を受けるのはまずはアメリカであろうが、その影響は時間の問題で日本にもくる。またどんなにコントロールしようと中国やロシアでも拡がりこれによって国の形が変わることがあるかもしれない。ソ連が破綻したのは軍備にお金を使いすぎて経済が破綻したからであったが、中国は来るべき経済の破綻で大恐慌を起こすと考えられるが、私は大恐慌のときにインターネットが果たす自由な発言こそが中国を変えるエネルギーになるのではないかと思う。

#53 「男性」と「女性」でなく「個性」と「母性」

2016-03-15

大阪の市立学校の校長が「女性は子どもを二人産むように」という訓示を終業式でしたようだ。それを誰がか教育委員会にいいつけて、市はこの校長を処分するということになりそうだ。いっぽうこの校長は「自分のいっていることは間違っていない」と主張している。自分ならどういう話を終業式でいうのか考えてみた。昔から世界は男尊女卑の歴史がある。これについて「それがいいとか悪い」とかは我々にいう権利はない。男尊女卑が悪いといっているのは国連をはじめとする人たちだ。21世紀の現代は「男性」と「女性」というよりも、「個性」の時代ではないか。それぞれの人が持っている「個性」が尊重されるべきではないか。「個性」であって「男性」「女性」ではないのだ。しかし「男性」と「女性」は違う。「女性」が「男性」と違うのは、妊娠して身体のなかで子どもをそだて出産するということだ。そしてその子どもを愛して育てるということだ。私はそれを「母性」といいたい。子どもを産むという決心は家族の決心でもあろうが、究極的には女性個人の選択に委ねられるべきであって、「必ず二人産め」とお説教されることではないのではないか。日本が日本の人口を増やしたいのであれば、母となる人がそうしようと思うような制度を完備するべきであろう。それが何なのかは国と時代と土地柄によって異なるであろう。ヨーロッパの先進国の中でも人口が再び上昇し始めたところがある。やってやれないことではないか。

#52 言論の自由という偏向と、放送法という中立

2016-03-08

総務大臣が放送法違反は停波を命じるといっている。放送法の定める中立公平な放送をしないテレビ局は停波命令をだす、ということだ。私は放送法を改正するべきだと思う。放送法の唄う公正中立を廃止して、同時に電波料をもっとちゃんと徴収するべきではないか。国民の視聴料で放送しているNHKは引き続き公正中立を守るべきだと思うが、民放は偏向していてもよいのではないか。右翼のテレビ局や、左翼のテレビ局や、与党の御用聞きのテレビ局があってもよいのではないだろうか。もうすでにそういうテレビ局があるという人もいるだろう。時代はすでにインターネットの時代で、テレビ放送も免許なしでインターネットで放送が可能になっている。出版のように言論の自由が保障された(偏向の自由が保障された)映像メディアが可能になっている。

最近マスコミが「官邸が検閲をしようとしている」と報道している。これについては検閲しようともし官邸が考えているのであれば、それは時代認識が間違っている。メディアが政権から干渉されていると思い、自主規制をしているのではあれば、ただのような電波料を払ってぼろ儲けしていて、うしろめたいからそんなことをいうのではないか。かつて落書き掲示板の2chで頻繁におこっていた炎上状態がテレビにまでひろがっていっただけのことではないだろうか。今のマスコミの論調は紳士の祭りではないだろうか。

私はメディア業界にひとつお願いがある。検閲をされたり、自主規制をしたときに必ずその記録を残しておいて欲しい。後日「平成のメディア検閲と自主規制」というタイトルで本を書こうと思っているからである。

#51 アメリカ大統領選その後

2016-03-08

2月19日付の「西和彦の独り言」で、ブッシュの可能性を指摘したが、その後早々と撤退してしまった。たいへん残念である。アメリカ人でない私がアメリカの大統領の選挙について何をいってもいい加減な第三者の発言にしかならないのであれこれいうのはやめようと思う。

前ニューヨーク市長のブルーム・バーグ氏が立候補をしないと決心したという発表があった。古くはコンピューター情報処理会社であったロス・ペロー氏も大統領選途中で撤退している。企業経営者が政治家になるのはどうもよくないみたいだ。企業を経営するスキルと政治のスキルは別物みたいである。日本でいうと藤山愛一郎、河本敏夫、居酒屋チェーンの渡辺美樹など企業の経営者で政治家になった人はその出身母体の企業がみなおかしくなっている。経営者というスキルと政治家というスキルは別のものみたいだ。ベンチャービジネスで成功してその上に国会議員になるという成功物語の屋上屋はないのである。

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