nishi.org 西和彦のコラム

西和彦のエッセイ

#60 PS4Kが出る!

2016-04-26

PlayStation4を改良したPS4.5とかPS4Kといわれる、4Kビデオディスクプレーヤーが出るそうだ。CPUがはやくなり、ビデオプロセッサーもはやくなり、4Kの映像のためにすべてが改良されたもののようだ。私はこの機械が出ると思ったので、PlayStation1も2も3も買ったがPlayStation4は買わなかった。しかし私はソニーにお願いをしたいことがある。今のPlayStation4で4Kディスクがたとえ2Kの映像であっても見れるソフトが欲しい。4Kのディスクをいれれば、4Kのデータを読み込んで表示は2Kであったとしてもアップグレードしないで見ることができたらいいのだが、そしてそのソフトをタダでPlayStation4のアップデートとして配布してほしいのである。ひょっとしたら、ソニーのソフトウェアエンジニアがそのソフトをチューンナップすれば4Kのソフトが見ることができるかもしれないと、勝手な期待をしている。

#59 次の時代を作ったオーディオの価値観の変遷

2016-04-26

オーディオの研究と開発と約10年くらいやってきた。パワーアンプを作って、スピーカーを作って、DAコンバータを作って、プリアンプを作って、CDトランスポートを作った。オーディオコンポーネントをほぼ全種類開発したことになる。そこまでやってはじめてわかったことは、今オーディオに求められているものはハイビットではなく、ハイビットの技術を使っていかにCDの音をよくするかということではないか。

話は変わるがここでオーディオの価値観の変遷について考えてみたいと思う。オーディオの最初はラジオ放送である。中波や短波を使ったモノラルの放送、ラジオ局を2局つかったステレオ放送がNHKによってされていたことを思いだす。

次のブレークスルーはFM波を使ったステレオ放送である。音楽の番組が増えステレオは周波数変調なので雑音も少なかった。

FMステレオ放送の音楽を録音するための最も簡単な方法はラジカセによって実現された。FMのステレオ放送をカセットテープにワンボタンで録音できるようになったのだ。ラジカセの中にはタイマーで自動的に録音できる機種もあった。この機械によって音楽が録音されたカセットテープがどんどん増えた。
この音楽が録音されたカセットテープをどこでも聞くことを可能にしたのが、ヘッドホンステレオである。ソニーはウォークマンという名前で発売した。爆発的に売れた。磁気テープの記録の常として録音ノイズが必ず伴った。この録音ノイズを少なくするためにアメリカのドルビー研究所という会社がノイズ低減法を発明した。ドルビーによっていやなノイズを聞かずに済んだ人は多い。

このノイズを究極にゼロにしたのがデジタルオーディオである。ソニーとフィリップスがコンパクトディスクを発明した。コンパクトディスクはオーディオの世界を完全に塗り替えてしまった。デジタルになることによって失われたものもたくさんある。2万2000ヘルツ以上の音が入っていない。理論的には1ヘルツからの音がはいっているはずなのだが、使っている半導体の制約から20ヘルツ以下の音は再生されない。しかしその失われたものを取り戻そうとする努力が現在のオーディオ業界の力点になっているのは皮肉なものだ。

CDをコピーしてもう一つのCDを作るためのレコーダブルCDが次に発明された。このCD-Rはパソコンの周辺機器としてどんどんと広まっていった。

そのパソコンの音楽データをごっそりヘッドホンステレオのように持ち出したのがiPodである。そのiPodにインターネットの接続機能をつけたのがiPhoneである。iPhoneは基本的に音楽をダウンロードしてiPhoneの中に蓄積して再生するものであった。

ここにきてiPhoneとiPhoneの上におけるiTuneが変わりつつある。それは音楽のストリーミングである。私は将来音楽の提供手段はほとんど全部ストリーミングになるのではないかと思う。自分の欲しい音楽をインターネットから聞く、ということがすべての人にとって当たり前になる時代がもうそこまでやってきている。

ではレコードはなくなるのであろうか。ではCDはなくなるのであろうか。では、SACDはなくなるのであろうか。そういったことが私の興味の焦点である。地球上に存在している60億枚のレコード。100億枚以上といわれるCDがなくなる日がやってくるのであろうか。私はその日が来ないと思う。一般の音楽ファンに対してはインターネットによるストリーミングが主流の音楽再生方法になるだろうが、オーディオマニアに対してはレコードもCDも残り続けるのではないかと考えている。CDはストリーミングで満足できないユーザーのための高音質な音楽メディアとして存在を延命させていくしかないのではないか。

#58 固定電話の未来

2016-04-19

一時1億加入ぐらいあった固定電話が減って減って2500万くらいになっているそうだ。昔は資産として値打ちのあった電話加入権はもはや紙切れ同然である。このまま固定有線電話が減っていくと採算分岐点を割れてNTTの赤字のもとになるそうだ。固定電話をどうしたらよいのか、考えてみたい。

まず固定電話の所有権を個人ではなくNTTのものにすることだ。すべての固定電話を公衆電話にすることだ。つまり各家庭に引かれている固定電話を必要な人は誰でも借りることができるシステムに作り変えることがいいのではないか。なぜなら、電波は有限であるからこのまま携帯電話が増えていったら無線はいっぱいになる。それよりも家にいるとき近くにマイクロ基地局があるときはそちらを通した電話に切り替えた方がよいのでないか。次に、固定電話網を固定電話の幹線と携帯電話の幹線とに統合するべきである。NTTとドコモが再合併をするということである。そして電話局から加入者までの線はISDNではなく、インターネットに切り替えるべきではないか。そうすると全国に2500万箇所のアクセスポイントが誕生する。自分の家の電話というアクセスポイントに無線でアクセスする人が増えると、儲かるというビジネスモデルにすれば人々は喜んでアンテナを外に向けるであろう。セキュリティはそんなに難しいことではない。つまり、WiFiやBluetoothを使ったマイクロセルに公衆電話網を切り替えていくことによって有線電話は生き延びるのではないか。

#57 ツイッターで売られたケンカに対する反論

2016-04-19

私はツイッターは嫌いだ。どうして嫌いなのかということを書くとそれだけでちょっとした文章になってしまうのでそれは次の機会に譲るとして、最近ツイッターで自分のした仕事にケチをつけられた。その内容は100ドルPCも1チップMSXも私の仕事ではないというものである、と。個人の名誉が関わってくるのではっきりと反論しておきたい。

私がMITのメディアラボで客員教授をしていたとき、私は4つのプロジェクトを提案した。1つ目が100ドルPC。2つ目が人工衛星を使ったインターネットアクセス。3つ目が電子マネー。4つ目が機械語翻訳のプロジェクトであった。100ドルPCは当時のMITの所長と意見がぶつかり、途中でやめた。最初に100ドルPCのために資金をだしたのは私だ。OLPC(One Laptop Per Child)という、100ドルPCを推進するNPO法人の役員もしていた。私はFPGAを使ったソフトウェアプログラマブルなアーキテクチャを提案し、ネグロポンテ氏は当時自分が社外重役をつとめていたモトローラ社のCPUを使うことを提案していた。いくら値段が安いからといってモトローラのCPUを使うなんて時代遅れも甚だしく私は反対した。また100ドルパソコンのOSとして、MicrosoftのWindowsも安く使わせてもらうことも提案した。余分なことだけど、スティーズ・ジョブズにAppleのMac OSを使わせてもらうよう、頼みにいくことも提案した。いろいろあって結局Linuxを使うことになった。CPUとOSとアーキテクチャが政治的に決められていくのをみて私は100ドルPCのプロジェクトを降りることにした。私が関わらなかったMITの100ドルPCは立派なものかというと、私はそうは思わない。こんなことなら中古のPCを世界的にリサイクルするNPO法人でもつくればよかった。100ドルPCの実態は利権の塊で関わった誰かがガバチョと儲けているプロジェクトだったのだ。

でも、降りたのはMITの100ドルPCのプロジェクトであって、自分としては100ドルPCをあきらめたわけではなかった。そうしているうちにFPGAのプラットフォームの上にMSXを載せようという集団があらわれ、日本で29,800円で売られることになった。この1チップMSXの発売にいたる紆余曲折もいろいろあってそれはそれで1冊の本になるぐらいの話がたくさんある。1チップMSXは5000台しか作らなかったので100ドルにはならなかった。商品のケースやコネクタやシステムダイヤグラムなど主な部分は私が最終決定をした。辻川さんという天才的なエンジニアがほとんどつくったものである。ツイッターの投稿の主は、西がなにもしていないとツイートをした。なんでそんなことがいえるのか、わからない。

ツイッターでツイートをしている人のなかには自分が頭で思ったことを1秒後にはツイートしている人が多いようだ。それ自体はツイッターがそういうものなのでどうこういうことではないが、私は問題を提起したいのは以下の点である。検索エンジンでいろいろなキーワードをいれて出てきた結果だけを読んで、自分なりの結論に到達し、それを匿名アカウントでツイートするのはいかがなものか。私は自分のウェブサイトを作っているが、そこに自分のやったことを全部載せているわけではない。むしろ自分のやったことのほんの一部しかインターネットには開示していない。その一部だけの情報をもとに、インターネットだけの世界がすべてだと考えて、インターネットやその他の公開情報だけでいろいろ判断をするということはまるで中学校や高校のインターネットの調べ授業のようではないか。まとめサイトのまとめにしてもそうだ。インターネットで調べたことでまとめている。インターネットに本当のことだけが書いてあるというのは間違いだ。まともなサイトもたくさんあるが、イカサマサイトばっかりではないか。単行本のほうがまともである。単行本でいい加減なことを書いている人もいるが、まともなことを書いている人の方が圧倒的に多い。

100ドルPCで文句がつけられたことがきっかけで、ツイートをしてしまった。何年も前に作ったアカウントである。ツイッター上で戦おうとは思っていない。ただツイートされたことが間違っているということはどこかにはっきり記録しておかなければならない。ところで、100ドルPCプロジェクトの次に10ドルPCプロジェクトと、1000ドルスーパーコンピュータプロジェクトをやろうという気持ちになった。電卓感覚で使えるパソコンと、パソコン感覚で使えるスーパーコンピュータを作ろうと思う。そのことを考え始めたところだ。

#56 新聞と出版は死ぬのか

2016-04-05

インターネットの時代になって新聞と出版の景気がどんどん悪くなってきている。夕刊はどんどん姿を消し、出版社の経営は悪化し、取次は廃業している。たしかに読者は変わりつつある。今まで家で新聞を読んでいた世代がなくなってしまった。スマホでニュースを読んでいる。マンガもスマホで読む。しかし本当にインターネットで出版と新聞が死につつあるのであろうか。そうでない部分も考えられる。ひとつは同じような議論がテレビが出てきたときにあった。テレビによって新聞はなくなる。そのなかで勇気を出してテレビをやるのだとテレビを始めた新聞社が成功を収めている。テレビ朝日やフジテレビや東京放送である。新聞とテレビは共存した。なぜならテレビはタダだったからである。新聞はテレビの番組表を夕刊に載せお互いに助け合う関係でこの半世紀進んできたのではなかったか。テレビと新聞の共存を見て出版界の人は、出版とウェブは共存すると思ったのではないか。たくさんの出版社が電子出版を大騒ぎして参入し、しかし黒字になったところはいまだ少数である。黒字の筆頭はマンガとエロ小説である。

ではなぜ新聞と出版が苦しんでいるのであるか。私はそれは読者の嗜好が変わっていきつつあるからではないかと思う。多くの読者がタダの情報を消費していて、タダの週刊誌の情報サイト、タダの電子出版サイト、もちろんタダのホームページを見るようになり、新聞や書籍につかっていたお金はスマホの通信料に変わってしまったのではないか。

新聞は憲法の言論の自由によって保護されているがゆえに何を言っても自由だ。右ならば産経、左ならば赤旗、インテリならば朝日、ビジネスなら日経、スポーツなら読売。ローカルなら東京新聞を筆頭にそれぞれの県単位の新聞などと、新聞は十人十色の以上のバラエティに富んでいる。このバラエティを嗜好する読者の情報選択行動がメディアの盛衰に直結するのではないか。右翼も左翼も需要は変わらないだろう。スポーツも需要は変わらないだろうが、読売はどんどんスポーツ新聞化するだろう。日経を読まないビジネスマンなんていない。おそらく一番部数を減らすのは、インテリにターゲットをしぼっている朝日新聞であろう。インテリはもはや新聞なんて読まない。今まで新聞を読んでいた時間にインターネットで自分がもっと情報を選び、誰でもが評論家のふりをしたブログを書く。

テレビ、ラジオ局は放送法によって公平中立が義務付けられている。最近総務大臣が変更している放送局は停波させるといって物議を読んだ。アメリカはこういう制限がない。こういう制限がなくなるのは時間の問題であろう。日本のテレビ局が新聞のように右と左とインテリとマネーと宗教とに分かれて、チャンネルがそれぞれ御用コメンテーターを抱えてバラエティに富んだテレビ放送が当たり前になるのが目の前にきている。

最近のメディアはマスコミ(新聞テレビのこと)もインターネットもひどすぎる。まだ立候補もしていないタレント候補者のスキャンダルや議員のスキャンダルやタレントのゴシップや犯罪者の犯罪の詳細についての記事が多すぎる。かくいう私もなんか事故が起こると全録ハードディスクレコーダーをみながら、どこの局がどういう論調で報道しているのかを比較して楽しんでいる。でも足腰をいかした機動力を持って取材をした記事は少なく、インターネットのまとめサイトみたいな番組ばかりでだんだん飽きてきた。結局ここ15年間スマホで育ってきた世代に対して、スマホ的な情報提供をするようになったテレビと、スマホ的なホームページを作り続けているメディア各社が売れているだけのことではないか。だから浅くて軽くて早いものはテレビとインターネットにまかせて、新聞と出版は時間がかかってもの深くて重いものに方向を変えていけばよいのではないか。高品質を好む読者はいつの時代にも必ず存在する。しかしそれが行き過ぎたら独りよがりの世界に突入して奈落の底に落ちていくだけである。不特定多数と特定少数の線引きが大切なのである。そういう変化が紙の世界とエレクトロニクスとの新しい共存を作りだしていくのではないか。

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