nishi.org 西和彦のコラム

西和彦のエッセイ

#66 ソニー、富士通、東芝のパソコン会社統合破談を聞いて

2016-05-17

そのうち日本製のパソコンがなくなる時代がやってきそうだ。日本製のパソコンにこだわる理由は全くなくなってしまった。ソニーのパソコンはいつも壊れた。東芝のパソコンはとても重い。富士通のパソコンはモバイルの方向性があって気に入っていたが商品としてのまとめ方に難があった。個性の塊みたいな集団が一つの企業としてやっていくということはできなかったということだ。

ではどうすればいいのか。選択肢は3つある。ひとつはSurface。もう一つはSurface Book。ビジネスでパソコンを使う人はこの選択でよいだろう。アーティストの世界は少し違うような気がする。美術系のアーティストも、音楽系のアーティストもMacである。つまりデュアルブートのMacBookがソリューションになるだろう。GoogleのChrome OSのパソコンも買ってみたが全然ダメだった。やはりウェブとかメールとかといった情報ユーティリティデバイスとしてのパソコンだけでは不十分で、アプリケーションが動いてなんぼというのがパソコンの本質なのであろう。

ではどうなるのか。私の無責任な予想であるが、デザイン中心のソニーには撤退という選択しかないのではないか。コンピューター命ということでスーパーコンピューターを開発してきた富士通はパソコンからは撤退しないであろう。東芝は今回のリストラのトップディシジョンでパソコンを残すか残さないかが決まるであろう。おそらく事業丸ごとどこかに売られるか、ソニーと東芝が一緒になるのか、といったところか。

#65 警察がリモートでGPS情報をゲットするようになると...

2016-05-17

報道によると警察の犯罪捜査目的で個人の所有するGPSデータをリモートで抜くことができるそうだ。
これに関して反対運動が時間の問題ででてくるであろう。でも抜かれるのはGPSデータだけではないと思う。カメラの映像やマイクの映像も含めて個人が所有するスマホはもはや電話会社やその背後にいる権力に乗っ取られているのではないか。だから私はこういうことに対して何か手を打たなければならないと思っている。このことにはじめて気が付いたのはケータイから110番をしたときのことである。ケータイから110番すると、自分でケータイを切ることはできない。電話は強制的につながりっぱなしになる。通報者を守るための機能であるかもしれないが、気分が悪い。そういうことが一切できないようなケータイやスマホを作れば売れるかもしれない。ベッドルームに置いたスマホがリモートで録音や録画を始める時代になったら気分が悪くはないか。音響的、工学的、電磁的に完全にシールドする箱にケータイをいれてから寝るということをしなければならないかもしれない。

#64 インターネットがマイノリティに与えた力

2016-05-17

マスコミの機能の中で大きなものに「アジェンダ機能」というものがある。これは世の中で起こっている森羅万象に対して必要であり、注目に値すると思われるものをピックアップして大衆に伝えるというものである。だから日経新聞と朝日新聞と産経新聞と赤旗では大切と思うトピックスが違っていて、当然伝える内容も報道する内容も違っている。このアジェンダ機能にそれぞれのメディアの品格や見識がでてきた。それがメディアのパワーとなってきた。

インターネットでツイッターのように一人のひとがつぶやくことが共感を得ればリツイートで拡散していく。何を言ってもゆるされる時代であるからリツイートもなんでもありの様子をしているが一部の少人数が発信する事柄が面白ければ拡散されていくという時代になってしまった。前東京都知事のお金の問題、オリンピックのエンブレムの問題、小保方のSTAP細胞の件、舛添知事の公私混同の問題、これらすべて一部のイカれる情報発信がおもしろおかしく拡散されてマスコミを賑わしている。他人のスキャンダルや他人の悪口や他人のプライバシーを聞いたり読んだりするのは楽しい。悪口は蜜の味という。しかし、社会の報道というカテゴリが本来的に持たなければならないアジェンダ機能を放棄し、エンターテインメントとしてのスキャンダルに注力するようになってしまったということはおかしいと思う。

私は右翼でも左翼でもない。中国や韓国からの帰化人でもない。地方出身で大学進学のときに東京に上京してきた典型的な東京都民である。その立場からいうと東京という街はその多様性において日本が世界に誇れる街である。しかしあまりにいろいろな人がいてその間の壁はインターネットによってさらに厚く高くなっていくのではないか。我々がしなければいけないことはマスコミの「アジェンダ機能」を疑うことではないか。マスコミが選んだコメンテーターの選択の意図を見抜くことではないか。ニュースそのものもニュースと思わないで、エンターテインメントと思って評価するべきではないか。あと言葉の壁はあるが世界中のニュースに対して定点観測をするべきではないか。日本のメディアと相手国のメディアと両方読んで、はじめてニュースの実態がわかるのではないか。マスコミやインターネットに隠されている世の中を操ろうとしている集団や個人の意図を発見することこそ、インターネット時代の個人に求められていることであると信じる。だからインターネットによって戦いの本質は個人vs個人になっているのではないか。

#63 シャープはどうなるのか

2016-05-17

オーナー系の大企業に買収されることになったシャープの報道がまた活発になってきた。ほとんどのマスコミが報道している立場をみていると、これからのシャープが前のような延長線上のように論じられているので違和感を感じる。たとえば中国で7000人リストラをするという報道。人減らしをしないはずではなかったか、といっている。今のシャープで人減らしをしなかったら、経営者の見識が疑われる。ホンハイは中国で100万人以上の人間を雇用するぐらいの大規模な投資を中国でやってきた。そんな会社からみたらシャープの中国事業なんて真っ先にリストラの対象となるだろう。それどころかホンハイが中国に投資した莫大な金額はすでに中国で生産した製品を回収が終わっている資産ではないかと思う。だからいくら100万人を雇用する中国の会社があるといってもホンハイにとってはコストはただなのである。ホンハイが上場している個人企業であるかぎり、中国の資産なんてもはやオーナーにとっては償却済のタダ資産である。

シャープの買収はシャープの持つ液晶が欲しかったなどなど報道されているが、ホンハイが欲しかったのはシャープという日本の上場企業だったのではないか。つまり売り上げ連結売上高2兆4000億円の日本の上場企業をタダ同然の4000億円で買収することによってリストラを行い、株式がふたたび上昇すれば2兆円ぐらいのキャピタルゲインを手にすることがホンハイの目的ではないか。その観点が今の日本のマスコミには抜けている。シャープの負けた理由とか、社内の派閥など瑣末的な報道ばかりされている。この記事を書くためにビジネス週刊誌を買ったがあまりの程度の低さにバラバラとめくって読むのをやめた。2兆4000億の企業の買収に4000億を投じる国際ビジネスマンの考えていることを描くことができるマスコミがいるのか。それが問われている。私はホンハイがやるべきことをちゃんとやってシャープが日本で上場している台湾企業としてたちゆくようになるということを見守ることがメディアの責任ではないかと思っている。

#62 政治経済についての私の予想

2016-05-10

その1、中国。ウォーレンバフェット氏が、中国の景気は明るい、中国の未来は明るい、といったそうだ。なるほどと思った。私見は中国の国としての体力があと何回大暴落に耐えられるということが論点ではないだろうか。クラッシュが起こるたびに国の中枢が買い支えをする。しかしあと何回この買い支えがうまくいくか未知数だ。中国の市場関係者の体力がもうなくなってしまったときに本当のクラッシュがやってくることであろう。ウォーレンバフェット氏はそれがかなりの先だというメッセージを出しているのだろうと考えている。

その2、日本。参議院選挙が終わったら株式は落ちると思う。その株式の落ちるきっかけはマスコミだろう。日本のマスコミかアメリカのマスコミか、ヨーロッパのマスコミか、その中のどこかがアベノミクスの悪口を書いて大騒ぎをするだろう。アメリカやヨーロッパが騒げば日本のマスコミも喜んで同調するだろう。誰が悪口を書き始めるかが見ものだ。そいつは日本の株を下げたい張本人に頼まれてそういう記事を書くのだろうと見ている。しっかりと時系列で分析してみたいと思う。その前からしっかり外資の空売りがされていたりして。そのあと6ヶ月ぐらいしたら不動産の値段が下がるだろう。不動産の値段が下がると外資の土地持ちが投げ売りするのではないだろうか。

その3、ロシア。プーチンロシア大統領と安倍総理大臣のトップ会談が開かれるそうだ。石油の価格が安くなって困っているプーチンだからロシアが儲かる提案さえすれば北方領土は返ってくるのではないか。しかし日本がロシアに資金提供をしたらアメリカの逆鱗に触れることなる。アメリカを怒らせないでそんなことができるのか。

その4、イスラムのテロリスト。なれてしまったのか人質が殺されてもテレビは全然反応しない。日本人が捕まってももう報道されなくなるのも時間の問題であろう。ISのスポンサーはもうすぐわかるだろう。それはアISから石油を買っている国だ。つまり石油を買ってISに資金を提供している国というのがどこかということはそのうちバレるであろう。その国はISに人質を取られないでISがその国の名前すら出さない国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本でもない。スポンサーの国の国民の首を切ったらスポンサーは怒るであろう。

#61 「小学校でプロクラミング教育の必修化」に思う

2016-05-10

産業競争力会議で総理大臣が小学校でプログラミングを必修化すると表明した。たいへんよいことなので二、三、お願いしたいことがある。まず、小学校の教員をプログラミングの教員にあてないでほしい。間違っても夏休みなどに講習をしてプログラミングの免状なんか発行しないでほしい。高校では「情報」が必修科目となっているが、ワープロや表計算を教える授業になっているところが多い。受験校は受験科目に振り返られたりしている。情報の専門家が高校で教えるチャンスはなく、理科や数学の教員が免許をもらってやっている。現実をみると仕方がないという気持ちにもなるが、小学校教員の免状をもたないと、小学校でパソコンの授業を教えることができない。小学生が目の色を変えてコンピューターに取り組むような授業が可能な人を教員として臨時免許を与え、実現して欲しい。

コンピューターの教育は大きく分けて2つある。コンピューターを使う教育と、コンピューターをつくる教育である。私のいうコンピューターとインターネットのことをいう。スマホを活用して情報をインターネットからゲットすることは誰でもやっている。そんなんに教育はいらないというひともいる。でもスマホでワープロや表計算やプレゼンテーションを作り込めるかというと決してそうではない。スマホは明らかに情報消費者のための道具であって、情報生産者のための道具ではないようだ。情報生産者はもっと効率のよい大きな画面のついたパソコンを使っている。一人一人が情報のスキルを持つならばパソコンのスキルは現在の時点では必須ではないか。

次にコンピューターを作る教育。秋葉原でパソコン部品を買ってきて組み立てるということがパソコンを作るということにはならない。半導体を買ってプリント基板をレイアウトすることがパソコンを作ることであろうか、それも違う。マイクロチップを作らないとパソコンは作れないのではあろうか。そんなことをいったら世界でパソコンを作れる人は100人以下になってしまうことになる。私はパソコンを作るということは今のパソコンを改良して新しい機能を付加し、新しいコンピューターを作ることができることではないかと思っている。その教育を日本で展開している大学はあるのだろうか。Apple IIも、PC98も、IBM PCも、Macも、最近ではRasberry Piもすべて企業で生まれた。教育の現場から教育の結果として新しいアーキテクチャのパソコンが生まれたことがあるのだろうか。大学で作ったといっているOSがあるが、一皮むけば専属の企業がつくっていたりスポンサーの企業がサポートしていたりする。一瞬花火は打ち上げることができても誰もが買えるコンピューターを作るということはとても難しい。私は小学校からコンピューターを教えるということにぜひ、プログラミングだけでなく、使い方だけでなく、どんなレベルでもいいからコンピューターを作るということを教えて欲しいと思う。小学校のときにコンピューターを作るという喜びを覚えてしまった子どもが大きくなって次の世代を引っ張っていくコンピューターを作るのだと思う。そういう子どもたちをたくさん育てたい。

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